いわゆる『ネット依存症』に陥る大きな要因は、以下の4点に集約できる。
1.他者とコミュニケーションするためのコストがゼロに近く、365日24時間いつでも話そうと思えば誰かと話せる(寝ている友人などから即時の返信はなくてもメッセージだけを送ったりできる)。
2.ウェブ上の情報量と娯楽のバリエーションは、個人から見て実質的にほぼ『無限』であり、『環境・相手・サイト・ゲーム』を変えれば飽きるということがなく終わりなく続けられる。
3.『朝・昼・夜』といった時間区分や『営業時間』といった時間制限が存在しないため、24時間いつでも情報・他者・サービス・ゲームにアクセスできる。『ウェブの時間感覚(区切りのない無時間性)』が『現実社会の常識的な時間感覚(学校・会社・役所・お店の時間など)』からズレやすい。
4.現実社会と比較すると『お金』『人間関係』『社会規範』に縛られにくい環境であるため、『お金が足りないからやめる』とか『親・先生・警察などがもう遅いから帰れ(明日の学校があるからもうやめろ)と注意される』というようなウェブ時間を抑制する動機づけが働きにくい。
『依存症』と精神病理学的に呼ばれる精神状態・社会適応の特徴は以下の2点に集約できる。
1.本人がやめたいと思っていても特定の行動パターンへの耽溺(没頭)をやめることが出来ない。
2.特定の行動パターンへの耽溺(没頭)が、本人が優先してやるべき『本業』の妨げになっており、本人に対して健康面のリスクや社会経済的な不利益をもたらす恐れがある。
この事から導かれるのは、『本人がやりたくてやっていて健康を大きく壊していない状態』であって、『本人が優先してやるべき本業に支障がでていない状態』であれば、いくらネットが好きで長時間やっていても『依存症』という病的状態にあるとは言えないということである。
現代社会ではインターネットは、常時接続可能な社会インフラであり、中心的なコミュニケーション・メソッド、コンテンツ活用のデバイスにもなってきている。更に、インターネットをプログラムやコンテンツの作成、サイトのデザイン、サービスの開発、資料・情報の検索など、仕事のために毎日使っている人も日本で1000万人を大きく超える規模になっており、毎日学校に通っているわけではない大人の場合には、『1日何時間程度のウェブ利用』が適切なのか病的なのかを判断することは簡単ではない。
仕事で5~8時間以上ディスプレイを見て作業をしている人が、プライベートな目的や娯楽、会話で追加的にウェブを利用すれば『1日12時間以上程度の利用』は日常的な生活パターンに織り込まれることになるからである。今後、ますますインターネットが『人間の仕事・生活・娯楽・映像・経済活動・コミュニケーション』に食い込んで融合してくる強度は強まる一方だと推測されるため、現在以上にウェブは『もう一つのリアルな世界・人格=物理的社会とは異なる時間消費領域』を構成すると考えられる。
デジタルネイティブをはじめとする現代人は、『現実社会』で生きると同時に『ウェブ社会』でも他者と関係を作ったり(おしゃべりしたり)情報を入手したり仕事をしたりしながら生活するようになっているが、ネット依存症として問題になる要因は『身体的精神的な健康被害・人間関係の悪化や悪口・ネガティブな感情の強化・本業(仕事・学業)への支障』である。
中高生は学校での勉強がとりあえずの本業になるわけだから、『まともな睡眠・休養の時間を確保できないほどのネットの長時間利用』は好ましくないし、『友人知人との人間関係が逆に悪化するような使い方』はネットの使い方として非生産的で間違っているだろう。
逆に、Googleやマイクロソフトに自分が開発したサイトやウェブサービスを数百万ドル以上で売却するようなアメリカの才能があるギークな学生のような人(起業家・投資家として実績を上げているような学生も含め)であれば、学校の勉強よりもウェブやプログラム、マーケットの技術・知識・実績を向上させたほうが、本人にとっての将来の利益は大きいかもしれないが、それは特例中の特例である。