『昭和の戦争』を生んだ“国民(庶民)の政治不信”2:血盟団事件(1932年)の破滅の哲学と自己犠牲の倫理

テロ事件を起こした右翼青年が共通して述べる目的は『君側の奸を除く』であり、天皇を擁立して讒謗している巨悪の奸臣(現在の政治中枢を牛耳っている元老・首相・閣僚・そこにカネを流す財界人など)に天誅を加えることで、天皇の下に善良な忠臣が再結集して新生日本の再建計画を進めることができるという武勇と忠誠、滅私の物語を信じていた。

戦争を推進しようとする右翼が唱えた『昭和維新』というのは、明治維新の王政復古の原点に帰ることだけが日本を救う道だという信仰を持った集団が、天皇中心主義の革命のために『捨石』になるという国家改造運動であり、こういった自分が死ぬことで国運が好転する(自分の利益や安全を考えないすぐに死んでも良いと自分を捨てることこそが正義なのだ)というメンタリティは後の『神風特攻隊』などにも継承されていく。

○『昭和の戦争』を生んだ“国民(庶民)の経済的困窮”1:右翼の国家改造・左翼の共産革命

とにかく自分の生命と利益を捨てて行動せよという『捨石主義』は、その後の日本軍の行動理念をも間接的に規定していく。『自分が死ぬことこそが国の勝利・繁栄につながる』という道徳観念は一般に共有されるものになったのだが、こういった道徳観念は人類に普遍的なところがあるのかもしれない。

洋の東西を問わず、『自分を大切にする人・お金や豊かさに価値を置く欲望の強い人』よりも『自分を捨てられる人・お金も安楽も要らないというストイックな人』のほうが利他的で道徳的な人間性を持っていると思う庶民はやはり多く、『西郷隆盛信仰』などもそういった無私の印象に根ざしていた。特に日本においてはその道徳観念が、滅私奉公や武士道精神、日本男児の行動理念として自発的な努力と強制的な教育によって植え込まれていったが、当時の右翼の捨石主義(自己犠牲主義)はそういった意味でも道徳的に承認されやすい素地があった。

血盟団を扇動した日蓮宗の過激な僧侶である井上日召や藤井斎空軍大尉(上海事件で戦死)は、自ら進んで破滅に向かう自己犠牲の大馬鹿者が日本を救う(実際には日本を破滅させる軍国主義の口火を切るが)とし、建設・安寧のことなどは後世に任せて、我々はひたすらに不正な既存の権力者・財界人(奸物)を抹殺しさえすれば良いとの短絡的な『破滅の哲学(後の一人一殺のテロ思想)』を吹聴した。強欲な腐敗した政治家ではなく潔癖な命を惜しまない軍人に、天皇の大命を降下させて、政党政治を否定する『超然内閣』を樹立することが国家改造運動を目論む右翼勢力の目標であった。昭和初期の大不況と政治家の相次ぐ疑獄事件がその前提にあった。

血盟団が国家の最大の奸臣としたのは、天皇の側近で影響力が強く首相指名の実権を握っているとされた自由主義的な元老・西園寺公望と元内相・牧野伸顕であった。西園寺について血盟団の中心メンバーの一人だった池袋正八郎は、立花隆『東大と天皇 Ⅱ 激突する右翼と左翼』の中で以下のように述懐している。当時の右翼は、産業経済(資本家)や利権政治(硬直した現状維持の保守政治)を嫌う勢力として庶民の支持を取り付けたところがある。

『政党・財閥に関係なく、人格識見共に非凡にして、国家改造の志を抱く人物に大命降下せば、と云ふことを仮定しましたが、今日の如く元老重臣の腐敗して居る時代にはこのことが第一難しいことで、殆ど絶望的であります。即ち形式上は厳として陛下の御任命なるも、実際は西園寺が首相を任命するようなものであります。従って西園寺は政権亡者の参詣で常に大繁盛であります。而して西園寺は自由主義者で政党出身でありますから、政党政治家以外の人物を奏請することは殆ど稀であります。

西園寺は内心このままの政党政治では日本の衰滅を招くと知りながらも、社会に波乱を起こすことを好まぬ特権階級の通有感情たる事なかれ主義から、政党以外の人物、端的に言えば、政党を否定する人物を奏請することは絶対にやらないのであります。故に厳密に言えば、西園寺が首相を任命するに非ず、実は政党の消長の鍵を握る三井三菱の財閥が任命するようなものであります。されば現代の政治家は三井三菱の番頭であり、政府は財閥の出張所たる商事会社であり、国策は商策であり、政治は商売であります。

西園寺をはじめ牧野や鈴木侍従長の元老重臣は財閥政党に結託して一身の利害のみを顧慮して、右の措置を敢えて取らず、常に腐敗堕落したる政党政治家のみを推薦して、上聖明を覆ひ奉り、下人民を失望せしめておるのであります。ここに於いてこれら元老重臣を除き、君側を清める必要があります。』

満州事変の前夜、1930年代にさしかかろうとする日本では、一般庶民の生活・雇用・貯蓄が昭和2年の『昭和恐慌』と昭和6年の『世界恐慌』で壊滅的な打撃を受けたことが戦争に突き進むことになる遠因を作っていた。中国大陸への進出を支持する世論が強まった背景には、『八紘一宇・五族協和の大東亜共栄圏構想のスローガン(満州事変の拡大・対ソ連の防衛意識)』と『天皇権威を奉戴する軍‐民間右翼の結託とそれに対する大衆の共感』があった。

そして、軍と民間右翼の結託を生んだのは、『政党政治の腐敗堕落(金権政治化)+民主主義の停滞(現状維持)への怒りと不満』であり、国民生活の疲弊と政治不信が相まって、軍が主張する『軍拡と戦争の必要性・天皇崇拝による国民団結・大東亜共栄圏による局面打開』のほうに今の生活を良くするための説得力を感じる国民が増えてしまったのである。