総力戦の戦時においては、国家のために命をかけて戦う『兵隊さん(戦う男性)』は無条件に尊敬すべき栄誉ある存在となり、ハイテク戦争以前の銃弾が飛び交って死体が積み上げられる戦場では、殺傷と性の倫理観が麻痺するだけでなく、当時の若くて童貞も多い兵隊さんは『命を捨てて戦っている自分への分かりやすい報酬・快楽』としての女性(性行為)を求めるという傾向が現れやすいと思われる。
あるいは、これだけ死ぬような悲惨な思いをして(実際に大勢の仲間も死んでいて)、危険な戦闘の任務を果たしているのだから、これくらいのことは勝者の権利として許されても良いという形で倫理観が崩壊する可能性が高まる。
現在のように自由恋愛や婚前交渉、ポルノが溢れている時代・社会でないため、10~20代の未婚者の多くは童貞だっただろうし、『死ぬまでに一度は女を抱きたいという欲望・国家(みんな)のためにここまでの危険とショックを引き受けているのだからそれくらいしても良いではないかという自己正当化』の心理が働くことも有り得るだろう。
橋下徹市長は以下のような発言をして、当時の戦争下では慰安婦制度は必要だったが、現在では女性の人権の観点から、そういった軍人・軍属に(有償であるにせよ)制度的に奉仕する慰安婦制度は認められないと述べた。
>>意に反して慰安婦になったかどうかは別にして、軍の規律維持のために、慰安婦制度は当時は必要だった。だが現代の人権の価値観からは当然許されない。
一方で、戦時下でなくても海兵隊の猛者の旺盛な性的エネルギーは、普通の生活をしていては制御できないというような意見を出している。一般男性の多くが風俗を活用などしなくても(あるいは恋愛・婚姻と関係する性行為を頻繁にしていなくても)性犯罪をしないことを考えれば、『肉体・精神を人並み以上に鍛えている海兵隊員』は一般男性よりも性的エネルギー(本能の暴走)をまともにコントロールできないという前提に立っているようだ。
>>風俗を真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーはきちんとコントロールできない。
橋下徹市長やその賛同者の主張の核心は、軍人の性的エネルギー制御(女性に対する犯罪防止・軍規維持)のために慰安婦制度を利用していたのは旧日本軍だけではない、制度化されていない他国の戦時下における性犯罪も多くあったのに、日本だけが執拗に慰安婦問題で非難されるのは納得できないという部分にあるようだ。
日本の国・軍が戦中の従軍慰安婦制度にどのくらい関与したのか、国・軍が強制的に無理やり慰安婦を徴発したのか、そうではなく求人で募集したり業者に民間委託したりして志望者を集めたのかという論点だけが、韓国との歴史認識の対立(謝罪賠償の要求への対抗)・外交宣伝の戦略上の必要からクローズアップされることも多い。
だが、『国家や軍の強制的な徴発・命令』がなかったのであれば大きな問題ではない、当時の貧しい女性の身売り・かどわかし(甘言を用いた騙し)は珍しいことではなかったというのは、(日韓の外交・宣伝の戦略上の観点としてはともかく)過去の歴史から学ぶ姿勢としては、『戦時の女性の権利侵害・戦場での男性の倫理観の麻痺』にもっと真摯なまなざしを向けるべきで、同じような歴史を繰り返さない意志を持つことが大切ではないかと思う。
現代の価値観・人権から過去の歴史を裁いてはならない(裁くことは無意味)という意見は多いが、男女平等や人権尊重などの現代的な価値観は、世界大戦を挟んだ『近代の歴史の混乱期・端境期』を越えて段階的に形成されたものであり、『過去では容認されたが現在では許されないこと』を認識して繰り返さないようにすることは、歴史と人間本性に謙虚に学ぼうとする典型的な姿勢のあり方ではあるだろう。
○関連リンク
橋下徹市長の『慰安婦発言』から戦争と性の問題を考える2