『ロト7』で国内宝くじ最高額となる8億円の当選金。宝くじは『愚者の税金』というけれど…

宝くじは合理的に確率の判断ができる人であれば買うべきではない『愚者の税金・お金の投げ捨て』だという批判は昔からある。

だが、一等の当選金が数百万円程度までであれば『宝くじの投資対コストの回収率』を考えることには意味があるが、数千万円とか数億円以上の当選金になってくると、いずれにしても『通常の労働賃金・貯蓄の持続』では大多数の人は死ぬまで貯められない金額なので、合理性・確率論を言っても詮無きことである。

国内宝くじ最高額の8億円!「ロト7」で3口

宝くじを何十年間もコツコツ買っても大多数は死ぬまで高額当選金は当たらない確率が高いが、その中の誰かは数千万円から数億円を得るというところに『射幸性の夢・ロマン』があり、その元手がかなり安くて庶民でも買えるというのが人気の理由なのだろう。買ってもまず自分には当たらないだろうが、買わなければ絶対に当たらないので一応買っておくという基準で買う人が増えるわけである。

何より何十年間もコツコツ毎月数千円を貯めても、数億円というストックには全く手が届かないまま死ぬことになるのは確実であり、また自分のビジネスをリスクを負って立ち上げて数億円を稼げる事業家・資産家になるというのは、大半のサラリーマン・公務員・フリーターにとっては宝くじに当たるのと変わらないくらいの確率だ。ロトのような宝くじも広義のギャンブルではあるが、パチンコや競馬などと比較すると『決められた金額』で買って結果を待つだけの仕組みなので、実際の時間とお金の損失は軽微なものに留まり依存性も低い。

ロト・宝くじにはプロセスの才能・努力・苦労が不要という意味での平等さがあり(基本的には人並み以上に優秀で勤勉なサラリーパーソンでもそんな大金とは無縁で終わる)、ただ『偶然の運』だけによって当たる、しかも翌年の税金も社会保障負担もかからないので自由に使えるというお気楽さがある。

勤め人か自営業かの庶民が、無税の数億円を一度に手に入れるというのは基本的には『夢』の類なので、当たらなくて当たり前(当たれば儲けもの)の気持ちで買えるわけである。また格差社会の意識の強まりによって、自分の仕事や職業を続けていても貰えるであろう給料の頭打ち感を感じやすく、『仕事での頑張り・工夫』によってそんなに極端に収入が何倍も増えるわけがないと大半の人は思っているからだろう。

200円~300円の宝くじを毎週何枚か買うお金があるのであれば、そのお金をコツコツ貯めていけばそれなりの貯金になるというのは常識論だが、月に3000円とかを宝くじに費やしているとして、それを全額貯金に回しても年間3万6千円、10年で36万円、100年で360万円で、数千万円~数億円といった『当選金のロマン』からは程遠く、自分の人生の最後までかかって数百~一千万円というのではテンションが高まらない。

そもそも身体や気力が衰え切った80代以上とかの年齢で大金を得ても、子や孫に家を買ってあげたり教育資金を援助したりするくらいで、自分が何かやりたいことのために使うお金としては使えないだろう。まぁ、若くして高額当選金を得ても計画的・財産防衛的な使い方(貯蓄・投資のポートフォリオの築き方)を知らない人は、短期間で女・男やギャンブル、見栄を張るアイテム、不動産、事業立ち上げなどにお金を突っ込んであっという間にすっからかんになって破綻する人も多い。

『ロト7』の8億円という高額当選金は、アメリカのような格差社会に見られる『1000万ドル以上の極端な高額当選を配当するロトくじ・ルーレット』などに近づいている。

格差社会の固定感が強まってくると『一発逆転』の分かりやすいメタファーである『非常に低い当選確率+極端に高い配当金の宝くじ』の売上が伸びやすくなる傾向はある。『愚者の税金の実害・打撃』を回避するのに大切なことは『本気でのめり込まないこと(投資金額を増やせば当たる確率が上がるという思いに流されないこと)』であり、事前に決めた少ない金額だけで『もしかしたら当たるかも・当たったらラッキー』の感覚で遊ぶに留めることだろう。

時に日本では、ボーナスの数十万円の全額を年末ジャンボなどにつっこむ中高年サラリーマンの姿などが報じられるが、ここまでいくと『自分の不満な現状(今の生活・自己評価・人間関係)の全否定』のために必死になり過ぎて熱くなっているので、『愚者の税金のトータルでの実害』がお小遣いの範疇から外れて大きくなり過ぎてしまう。