男性の下心の間接的アピールと女性の許容・拒絶の駆け引きというのは、『男と女を捨て切っていない年齢・立場の男女』であれば、なかなか避けては通れない問題ではある。
『異性としての関心・好意・欲求』というのは自ずから伝わるものだが、『相手との関係性の深まりのレベル』や『相手の感情面・倫理観の上での準備』を勘案したタイミングで下心を開示していくことが重要であり、下心という性的関心そのものが悪というものではない。
しかし、相手との関係性のレベルや自分への感情、性の倫理観などを無視して一方的に誘ってみても、ただ拒絶(お断り)されやすいというだけの話であり、“ワンナイトラブ・行きずり(酔ったり流されたり)の関係”というのは男性側には都合が良くても、(妊娠する身体を持ち他の男性から倫理的査定を受けやすいという意味で)ハイリスクな女性の大半は敬遠しがちである。
女性の持つ『体だけが目当てなのか』という不信、男性の持つ『カネだけが目当てなのか』という疑念というのは、自分が妊娠するか否か(同時に複数の相手と生殖可能か否か)の生物学的差異、一夫一婦制の貞操観念やロマンティックラブのイメージを求める(求められる)か否かのジェンダーの差異、古代からの性別役割分担の意識の刷り込みなどによって生じると考えることができる。
その差異は相当に根源的であり、『例外的な個人』がいるとしても一般的に簡単には変わることが難しく、どの国・地域においても(職業としての関係は除き)女性は男性よりも性交渉の相手の選択には慎重な傾向がある。
夢もロマンもそっちのけにして現実だけを直視すれば、『性格・外見・人間性・コミュニケーションのやり取りが物凄く好きになった相手(損得勘定を度外視できる恋人候補)』か、『継続的な誠実さ・責任感・人生のコストの分担が期待できる相手(ある程度の損得勘定に配慮した配偶者候補)』かでないと、女性はセックスをする意義がないと考えるものである。
よほど冒険心や性的探究心(リスクテイクを好む性格)の強い女性で無い限りは、『感情面(ロマンス面)・経済面(実生活面)・社会面(倫理的査定)における納得できるだけのメリット』がない、好きでも嫌いでもない程度の相手の間接的な誘い(深夜や泊まりがけになるようなシチュエーション・二人きりの場所への招待など)には警戒心を強くする。
『男性のムフフな下心』を見抜いて回避する必要性は、『性格・外見・人間性・コミュニケーションが物凄く好きになった相手(損得勘定を度外視できる恋人候補)』や『継続的な誠実さ・責任感・人生のコストの分担が期待できる相手(ある程度の損得勘定に配慮した配偶者候補)』であれば乏しくなる。
『それほど自分のほうが好きでもない・継続的な支援や貢献を期待できない・自分のほうが長く付き合い続けたいと思えない』という印象・判断を女性が持っている場合には、その下心は概ねあっけなく拒絶されるか、遠回しに関係が疎遠になっていくだろう。
女性が『それほど自分のほうは好きでもないが相手のアピールは強いな』と思う時に、短期的に関係を持つことを急いで下心を露わにすれば関係そのものが終わるだろうが、『継続的な誠実さや人生のコストの分担を期待できる人物であること』を時間をかけて相手に印象づけることができれば、長期的には『それほど好きでもない→この人は信頼できる優しくて面白い人、人格的に秀でた人かもしれない』という方向に評価が好転する可能性はある。
取り立てて抜きん出た外見や性格、経済力、コミュニケーション(話題の展開)の魅力などがあるわけでもないのに、『相手にメリット・安心感を感じさせない下心のみ』を露わにして近づいても、ただ人間としての評価が下がったり、危ない男だと思われて遠ざかられるだけという話である。
『相手を異性として好き・性的関係を持ちたいという下心』があるにしても、『相手の感情・欲求・倫理観とのバランス』を考慮しながら、長期的な関係性や安心感を育むようなコミュニケーションを丁寧に重ねたほうが、遠いように見えて近道になる(結果としていつか相手が自分の下心も込みで受け容れてくれる率が高まる)のではないかと思うが。