セックスが好きかどうかという直截な質問は、一般論として語るにしてはあまりに『質問に応える者の年齢と体験・価値観・生き方の個別性(人それぞれの差異)』を捨象し過ぎているのではないか。小学生や中学生くらいの年齢であれば、第二次成長期を迎える身体・ホルモンの変化(生殖能の獲得)が、『未知の快楽・異性の裸体に対する幻想(その幻想の友人間での下ネタ・体験談による共有)』と合わさることで、画一的な性欲が喚起されやすい。
男性に聞く!ずばり、あなたはエッチが好きですか「嫌い5.7%」
初めてのセックスに対する感想は人それぞれではあるが、男性の中には『実体験以前の性的幻想・異性の身体の甘美な理想化』と比較すると、セックスそのものの快楽の強度は圧倒的に強いとまでは言えないような気がするという感想を持つ者も多い。無論、慣れていないことによるプロセスのぎこちなさや技巧面・配慮面での未熟さなども関係するが、複数の異性と経験を重ねてある意味での性的な慣れや性行為の機会増大が生じると、今度は『未知の快楽・異性の性的身体(行為)に対する幻想』が打ち崩されてしまう。
セックスの欲望というのは逆説的だが、好きな相手と同棲・結婚するなどして性行為の機会があまりに日常化してしまうと段階的に衰えていき、『快楽・幻想(イマジネーション)のエロティシズム』から『安心・情愛の絆(つながり)の確認』のような行為へと質的な変遷を遂げる。
もしくは、一定期間の経過後にセックスレス(極めて稀な行為頻度)が当たり前となりやすく、10年、20年とずっと一緒にいてもセックスの欲望がその相手に最高に強く維持されている(法律的・倫理的・情義的な制約によってそうするしかないという意味合いではなく)というケースは、生物学的な生殖・脳機能の仕組みから考えてもおそらくレアだろう。
『快楽・幻想(イマジネーション)のエロティシズム』は、異性として魅力・興味を感じているが深い交際(恋愛)や性的関係にまでは至っていない相手に対して強まりやすく、手に入りそうで入らないもどかしさ、もしくは自分などが劣情を寄せるのが畏れ多いという感覚によって刺激される。その相手の性的身体やその行為を体験していないからこそのイマジネーションの余地があるということになる。男性のセックスの欲望が最大限に強まる状況というのは、完全に自分の恋人や配偶者にはなりきっていない段階(性行為の機会が確実視される状況ではない段階)であって、『理想的な異性像』を投影するイマジネーションの領域が大きい場合である。
エロティシズムと関係する理想的な異性像は、『聖女性(高潔な貞淑さ・触れがたさ)』あるいは『娼婦性(淫猥なセクシーさ・背徳的な悦楽)』のどちらかか両方の幻想と関係しているが、その究極的な形態がアウラを帯びた神格化が施される『アイドル・高嶺の花(住む世界の違いを感じさせる偶像)』のような存在であり、その身近な形態が『クラス・職場の憧れのあの子』となる。
今でいえばAKB48に代表されるアイドルや容姿が売りの芸能人は、恋愛禁止のルールがあることもあるが、常識的にはそのファンがアイドルと実際の交際や性的関係を持つことはないわけで、『理想的な異性像・性的な幻想(あるいは聖女的な性の禁忌)』を投影するイマジネーションの領域は非常に広くなる。
アイドルほど非現実的ではなくても、自分がまともにアプローチしても受け入れてもらえそうにない(ずっと性的関係にまではなりそうもない)美人で可愛い憧れの子でも同じように、その人にしかないと思わせられる『特別な性的価値』があるという主観的なファンタジーが生まれやすい。こういった理想の異性像(裸体イメージ)や性的な幻想のイマジネーションが投影されている間は、その異性とのセックスには『物理的・生理的な快楽』を超えた『自分の人生が明るく切り開かれていくような感覚(何か今までとは全く異なる楽しい毎日が始まりそうな予感)』が伴う。
こういった純粋というか理想化できる異性関係が維持されている時には、相手の異性は『アウラ(神聖性・特殊性)』をまとった状態になるので、男性の性欲や忠誠心(貢献意識)は一般に非常に高まりやすくなり、ドーパミン系の脳神経系の賦活によって、性行為に対する公衆衛生上の清潔・不潔などの意識を感じることも殆どなくなる。客観的(細菌学的)に考えれば、オーラルをはじめとする具体的な性行為には不潔といえるものも多いが、性的な幻想と脳神経系の興奮が冷静な清潔意識のこだわりを麻痺させているのであり、逆に言えば正気に還りすぎるような近すぎる関係になると、あまり前戯や口腔性愛に対する欲求が生じなくなる。