仕事でも試験でも人間関係でも、何か一つ失敗やミスをすると、『自分は能力・魅力がないつまらない人間だ』『この失敗を取り戻すことはできないから何をやっても無駄だ』と自己否定してしまい、その結果として生じる『ネガティブで陰鬱・無気力な精神状態』に浸り込んでしまうことがある。
『明るくポジティブな気分』を誰もが持ちたいと思うものだが、現実には『暗くてネガティブな気分』にも、『価値がないと思っている自分』を更に自己否定することによって、それ以上の失敗・挫折(傷つき)を回避することができるという依存性がある。
自己価値が貶められたり何かが上手くいかなくて傷つくことに対して、『認知的な予防線』を張ることができるため、人間の多くは意外にも、『暗くてネガティブな発想・気分』にはまり込んで、そこから自虐的・悲観的な快楽を際限なく得ることができるという側面を持っている。『暗鬱・悲観の蜜』はたまに詩情や自省の余韻を持って味わうくらいがなら良いが、自分をけなしたり貶めることによって『今の時点以降の意欲・希望が生む可能性』を何もしないままに失ってしまうのは大きな損失となる。
他人から自分のやっていることを否定されたり、自分の能力や成果、人間性を批判されたりすると、反射的に『他人の言葉・悪意のままに形成される自己イメージ』に囚われて、自信や意欲、精神の安定を失う人もいる。
しかし、『他人の否定的な言葉・態度』というのは自分の言動や成果を振り返る時の参考にする程度でちょうど良い。相手の否定的な言葉や不愉快な態度を真に受け過ぎて、深く落ち込んだり自分の価値を否定してしまうような『暗示』にかかってしまっては時間・気力の浪費になるだけである。
相手が初めからそこまで深く考えたわけでもない言葉・態度について、『自分が無能だから、嫌われているから~と言われたのだ・もしかしたら~だったのかもしれない・次は機嫌を損ねないように~しなければならないのでは』というような想像を延々と繰り広げるのも無意味だが、そういった想像や迷いによって失われる『楽しい時間・意欲的な気分』をもったいないものとして憂うべきである。
『ミス・失敗・批判・非難』によって、誰もが一時的に自分の能力を疑ったり相手に苦手意識や反発心を感じたり、意欲や自信を挫かれたりもする。だが、『一時的な落ち込み』を『長期的・慢性的な落ち込み』にまで遷延させずに、早めに考え方(受け止め方)を切り替えることで、その悪影響は大幅に軽減される。
失敗や低評価、批判、非難というのは、『客観的な自分の間違い・自分に不足している部分(未熟な点)・相手を感情的(攻撃的)にさせる自分の要素』に気づくことができるチャンスでもあり、『学習・改善・やり方の変更の始点』として上手く活用することができるかどうかが大事である。