総合評価 76点/100点
悲惨な戦争の時代を題材にしたアニメ映画だが、戦闘機『零戦』を開発する主人公の堀越二郎は、徴兵とも戦死とも不況とも飢餓とも無縁な、財閥三菱に勤務するある種の特権階級のエンジニアである。
庵野秀明の無機的な声の質感とも合わさってどことなく『現実感の薄い人物』になっているが、明るく夢を追い続ける堀越二郎の内面では『戦闘機の設計開発』と『戦闘機が用いられる戦争の現場・現実』は結びつくことはない。この飛行機に機関銃さえ搭載しなければ、もっと理想的な軽い機体になるのにといった航空機設計の情熱にひたすら突き動かされており、最後でも『結局私の作った飛行機は一体も戻ってこなかった』という表面的な現実認識で幕を閉じてしまう。
『風立ちぬ』の主題は『それでも生きる』であり、戦争のような苦境にも負けない生命力・頑張りにあるような売り込みなのだが、『風立ちぬ』で描かれるアンニュイな世界は『戦争に関係しているようで関係していない中空的な人物』によって構成されている。
戦争のリアリティを訴える『つらさ・貧しさ・苦しみ・強制に耐える世界観』は感じられず、イタリア人の著名な飛行機設計士ジャンニ・カプローニと夢の中で戯れるほど飛行機にのめり込んでいる秀才の堀越二郎が、ひたすらその飛行機のエンジニアの夢を突き進んで、『戦争の現実』とは別に『自分のワクワクする夢』を具体化していくという物語である。
メインのように見える美人薄命な結核を患った里見菜穂子との恋愛にしても、堀越二郎の菜穂子に対する思いに具体的な深みや痛み、愛情が見えにくいために、当時の男女関係のジェンダーを加味しても、『堀越二郎の夢(仕事)の付随物』として美しい菜穂子が存在していて付き合って上げているようにも見えてしまう。
そういった付き合いに菜穂子が納得・満足しているように見えるからそれでハッピーだったはずという理解でも良いのだが、出会いから別れまでずっと二郎は菜穂子に対して『綺麗だよ』という褒め言葉以外のコミュニケーションが少なく、菜穂子の体調・内面に対する言及がほとんどないという違和感がある。基本的には、電車に乗っていた時に関東大震災が発生して、その時に献身的に菜穂子を手伝ってくれた二郎の優しさに惚れて好きになったという流れが作られてはいるのだが、『出会いのきっかけ』と『その後の関係の深まり』の落差が大きいのかもしれない。
あまりに二郎が毎回『綺麗だよ』と褒め続けるので、『病状の悪化で綺麗でなくなっていく菜穂子』が二郎の家を飛び出さざるを得ない展開になったようにも思うのだが、その展開についてもおばさんが『好きな相手に綺麗な姿だけを残して去っていったのね』とさらりと語って終わりという感じで、恋愛物語としての感情移入はややしづらい。
山間部のサナトリウムを抜け出してきた菜穂子が、二郎の元に戻ってきて実際にしたことは、仕事に行って帰ってくる二郎を『いってらっしゃい・おかえりなさい』と送り出したりお迎えしたりすることの繰り返しが大半なのだが、時に手を握り合ったりの恋愛描写があるが、二人の恋愛や心情をもう少し具体的な会話・言動のやり取りで詰めていったほうが物語の奥行が深まったのではないかと思う。
堀越二郎の才能と情熱、夢、恋愛のストーリーを通して、どんなに過酷で貧しい時代でも楽しく生きようと思えば生きられるという希望を描いたとも言えるが、『戦争の中で必死に生き抜いた人物』というより『戦争の悪影響を受けにくい立場で生きた有能な人物』というのが近いかもしれない。
とにかく飛行機の設計開発がやりたくてやりたくて堪らないという底抜けの明るい情熱と無限のやる気は、荒井由実が歌う主題歌の『ひこうき雲』とぴったり合っているのだが、それを戦時中の時代設計やシリアスな相手との恋愛に組み合わせたことでチグハグした感じがある。『ひこうき雲』の歌そのものは、青空の爽やかさを思い出させる透明感・希望が感じられて良い歌である。随所で挿入される音楽もかなり効果的でイラストとの相性は非常に良く、『アニメ映画としての映像の美しさ・音楽とのバランス』は素晴らしい。
アニメの世界で大きな成功を収めた宮崎駿の思いが戦時中の俊才である堀越二郎に投影されていると見ると少し嫌味な感じもあるが、『困難な時代における情熱的な生き方の類型(成功例)』として見ることはできる。『山から吹き付けてくる風=菜穂子の死の予感』を受けたり『自分が設計した零戦の全滅の報告』を聞いてもなお、『だからこそ私は生きていかなければならない』と飄々と語る堀越二郎は生命力が逞しいような、少し冷淡(無関心)なような不思議な人物像というイメージが残った。