自分の国を自分で守るのは当たり前であるという『個別的自衛権』の問題領域を、日本の領土・日本人の人権の保護と直接に関わらないアメリカとの共同軍事行動に発展する恐れがある『集団的自衛権』の問題に擦り替えてしまったり、『外交的努力・国際協調よりも国軍化と軍拡(攻撃能力増強)の威嚇の抑止力が有効だ』という現在の国際情勢を読み間違えた主張をするのであれば、現在の与党が打ち出している改憲の方向性には同意しがたい。
安倍首相の歴史的使命としての『憲法改正』と『歴史認識・国家観』について、庶民として考えておきたいこと:1
『誰もが平和を望んでいても戦争は回避できない』という運命論的なエクスキューズは、『統制主義国家(権利抑圧社会・洗脳教育原理)における一般庶民の流されやすさ・同調圧力への無力さ・権威や報道への従順さの言い換え』にしか過ぎず、『戦争・軍拡・武力有効論に誘導される世論』を生み出している本体を無視した論であり、人道的に間違った支配・教育をしている権力や体制を補完する主張につながる。
『国家内において殺人が禁止される法律』のように『国際社会において戦争が禁止される法律(ケロッグ・ブリアンの不戦条約から国連憲章への流れ)』が機能しづらいこと、あるいは国際的な平和志向(個々人の平和主義)が機能すると困ったり儲からなかったりする支配的勢力が、マッチポンプで国家間の感情や政策、国民教育(国民・宗教・民族のアイデンティティ)を調整していることが問題の本質である。
日本国憲法9条とは本来的には国連憲章をその理念に従って遵守する国家の平和主義の姿勢と普遍的な平和理念(動物性・集団心理を離脱する倫理的な進歩主義)を諸外国の政治・教育にも相互的に波及させる目的意識を反映したものでなければならず、そういった『戦う平和主義・国際民主主義』の目的意識を放擲してしまえば、日本国憲法は正しく空理空論の一方向的な平和主義・人権保護として閉塞する定めにある。
戦後日本の歴代政府が怠ってきたのは、中国人・韓国人が家族の話や政府の愛国教育、世論誘導(ガス抜き)の反日報道を通じて数十年をかけて形成してきた『日本の軍国主義警戒論・日本人の残酷性強調や軍事的野心論(大日本帝国復活論)・過去の歴史の再現恐怖』を払拭するための説明と努力である。
日本が半島・大陸へと対ソ(対清)の自衛名目で進出していった『戦前レジームの軍事政策・戦前の国民性』から完全に離脱したことを、日本国憲法の立憲主義とその平和・人権・民主主義(自由主義)の普遍性を打ち出して伝えることができず、一部の政治家の歴史認識や靖国神社参拝によって『日本はまだ戦前と変わっていないのではないかという揚げ足取り』の材料を提供してしまった。
中国・韓国が非難する『近代日本が歩んだ帝国主義の歴史の要因とその改善』は、中韓にとっても過去の日本と同じ轍を踏まないようにという『反面教師のケーススタディ』として機能するものであり、中韓が『過去の日本の帝国主義の行い』を非難する以上、『現在の中韓と過去の日本の体制・軍事・教育・方向性などの類似点』があればそれも同様に非難されるべきだというロジックからは逃げられない。
戦後日本の歴史認識は『日本の謝罪・反省』であると同時に『後続して発展する国々への警鐘(国家の発展過程で起こる拡張・強欲への戒め)』でもあり、その抗いがたい誘惑に楔を打ち込むために国際的に実効性を持つ立憲主義とその実行主体が求められる。
日本国憲法が求めている究極の目的は、尖閣諸島を侵犯する中国が『国家主権(自国が領土と言い張るもの)のためなら外国人を殺しても何をしても良いとするロジック』を覆して、『国家主権であっても一時的に制約される事態(当事者国だけの実力行使の喧嘩で決めてはならない事態)』を作り出して国際的に承認させることだろう。
『国家主権侵害事案と見られる問題でも例外なく国際司法裁判所に問題解決を負託しなければならない(自国にとって自明な領土・権益だとしてもそれを自国の武力・示威などだけで勝手に自分のものだと決め込み軍事行動してはならず、本当に自明な領土・権益であれば利害関係のない複数の判事や国際世論にその判断を委ねることに疑問はないはずである)』という国際ルールに、安保理も率先して従わなければならないというのは確かにハードルが高い。
だが、現状でも侵略戦争や攻撃していない国への軍事的威嚇は国際法で禁止されているのだから、中国も『釣魚島の自国領土防衛のための威嚇行為(というか自国領内の移動)』という建前を強弁しないと侵犯を繰り返せない現実がある。
日本は軍拡(国軍化)や集団安保の軍事的対抗などせず、『領土問題は存在しないという従来の国家主権のオウム返し(中国も国家主権のオウム返しなので終わりがないし緊張の度合いが高まるだけである)』もやめて、『国際司法裁判で是非を問う正論(明らかな自国領土だと自信があるならそれを断るべき理由や必要はないはずという主張)』に中国を巻き込むような強い道義外交(公開議論)に持ち込んでいくべきで、そういった外交方針と個別的自衛権(専守防衛)の結合を標準的な紛争解決の範型として固める先導役を果たすことに期待したい。