“3年目の恋愛終焉説・4年目の離婚危機説”は生物学的根拠を持って語られがちだが、

子育ての協力期間を終えてからも続く長期的な婚姻は『反自然的』なものであり、『持続させるための必要性・責任と努力・情愛(感謝や寂しさ)』か『持続したいと思う人間的魅力=二人の共有体験や会話の楽しさ、安心感』が必要になってくる。

相手を魅力的な異性として強く求める感情、性的対象として独占欲を感じる感情というのは、PEA(フェニチルアミン)やドーパミンが多く分泌される期間と相関しており、『3年以上の長期的かつ定期的な恋愛関係(性交渉を伴う)』や『生活時間の共有の増加(相手の隅々まで知っていき秘密の要素が消える関係性の日常化)』によって必然的に弱まっていく傾向がある。

「結婚4年目の離婚」が多い理由。4年以内に離婚するか分かる4段階の会話とは?

相手を魅力的な異性として強く求めていたり、自分のことを恋人(配偶者)に選んでくれてありがたいと思っていたりする間は、『相手が嫌がる言動・人間的な魅力が劣るように見える言動』をしないように気をつけているし、『相手が望んでいる言動』を頑張ってでもしようとするものだから、(恋愛に集中できない環境や性格・浮気心や飽きやすさの強弱はあるかもしれないが)大抵のカップルではそれほど大きな問題は生じない。

端的には、『相手が嫌がる言動』をしたら自分が嫌われて別れられてしまうのではないかという緊張感や選択肢がある間は、良くも悪くも『相手の良い部分』に意識をフォーカスして『相手の悪い部分』に寛容にさせてくれるわけだが、『交際の長期化・馴れ合いの深まり・結婚や出産の事実』などが出てくると、ここまで深い付き合いを長くしてきたのだから多少わがままや自己主張をしても許されるだろう、今になって別れたり離婚するとは言い出さないだろうという甘えが生じやすくなる。

既定事実の積み重ねや過去の関係性の長さに寄り掛かりやすくなり、『相手に好かれるための努力・相手を楽しませるための配慮・相手の苦楽の体験への想像力』に手を抜きがちとなるが、それでも既に築き上げてきた関係や繰り返されるライフスタイルに流されていたほうが楽(すべてをご破産にしてゼロから新たな相手とやり直すのは非常なパワーと時間が必要になる)という『慣性の法則』はかなり強固なので、よほど大きな問題や相手の許せない欠点、自分の気持ち・環境の大きな変化がない限りは、そのままの関係が続きやすいとは言える。

かつての離婚率の低さは、『夫婦が家族や異性として深く愛し合っていたから』という理由よりも、『専業主婦世帯が多く収入の多くを配偶者に依拠して社会保険加入も夫婦共有(自己負担率の低い扶養枠)になっていることが多かったから』という現実的な理由があり、1980年代以前には女性が単独で生計を長期間得られる雇用が専門職・エリート階層以外に無かったからである。『結婚とは生活である』という言葉の重みが現在よりも格段に重く、結婚しないでも生計や社会保険(年金・健保など)の目処が立つ女性は殆どいなかった。

『いったん結婚した夫婦は基本的に別れてはならないという社会規範や親族の圧力』が強く、離婚を夫婦だけの合意で決めることが難しかったことも離婚率の低さに貢献していただろうし、『反自然的な長期的婚姻』は『イエ単位の婚姻制度(離婚すれば自分たち以外にも影響や迷惑が広く及んで親族から非難されかねないという意識のある婚姻)』のほうが相性が良いものである。

近代の婚姻は『両性の合意のみ』に基づいて行われるのが原則だから、『親の承認・一族の干渉・イエの利害や名誉』などはそれらが存在するとしても付帯的・慣習的なものであり、時代が進むにつれて相対的に弱まっているため、『両性の合意(この人と人生を共有していきたい、助け合っていきたいという合意)』が崩れれば離婚という結末を妨げる障害は極端に少なくなっている。

かつては、相手が嫌いになったから(性格の不一致が顕著になったから)という理由だけで離婚することは困難であり、仲人や親・親族などがでてきて『夫婦は好き嫌いだけでひっついたり別れたりするものではない・我慢してでも一緒にいることが大切で離婚は世間体が悪い・女性が離婚したらその後のまともな生活や子育てができるはずがない』という説得によって、一緒にいて楽しい思いや会話がなくても婚姻を継続して必要限度の相手への責任を最期まで果たす人が大半だった。

それは『好き嫌い・尊敬と愛情・面白さや感動』といった現代的な婚姻の魅力とは殆ど関係しないもので、『“縁・世間”と呼ばれるある種の運命の享受(義務と責任・生活の必要性を伴いながら毎日の既定事実で作られていく不可避の運命)』によって縁と責任が生まれた相手と最期まで連れ沿うしかないという覚悟に根ざしたものだったのかもしれない。

故に、生物学的な恋愛感情や性欲、興味関心の限界があるにしても、それが直接に『婚姻の継続か離婚かの選択』と結びつくことはまず無かったのだが、現代では『絶対にやり直せない運命・覚悟』というのは基本的に好まれない傾向があり、『どうしても合わない相手や危害を加えてくるような相手』と残りの人生を無理に共有する(相手のためだけに我慢我慢で連れ添う)のは無駄でありもう一度新たにやり直したほうが良いという価値観が強まってきたように見える。

夫婦関係の質の違いでいうと、経済生活・出産育児・住宅購入・老後設計のような『現実的な目的・課題の共有』があれば上手く関係を維持できるという『機能的・互助的な夫婦』もあれば、『その相手と一緒に過ごしたり話したり何かを体験したりすること』そのものに価値があるという『情緒的・趣味的な夫婦』もある。

『機能的・互助的な夫婦』の場合には、子育てや長期ローンが終わったりして二人で一緒に協力して達成しなければならない『客観的な目的・課題』が見えなくなると、その後の関係維持に意識的な努力が必要になることが多く、『相手の内面・関心・活動』に興味が持てない場合には会話も無くなりがちである。二人で一緒に絶対にしなければならない課題・作業のようなものがあると関係が安定しやすいので、何らかの共通点を模索するかお互いのそれぞれの人生(やりたいこと)を尊重するかが大切になるだろう。

『情緒的・趣味的な夫婦』の場合には、人間や異性としての相性は良い傾向があるが、基本的に『楽しい活動の共有・興味関心にまつわる会話』がベースであるため『客観的な目的・課題の互助』には逆にあまり適応できないという問題点が露呈することがある。一緒に話し合ったり体験したりしたいことは無数にあるが、毎日の生活や出産育児、老後設計などに対する意欲・関心の強度はバラバラになりやすく、恋愛感情(相手自身への興味)は冷めにくい一方で、恋愛(面白さ・刺激性・興味関心)から婚姻(現実的な生活課題)への移行がスムーズにいくかどうかが鍵になる。

目前にある現実的で生活的な問題に対処するには『機能的・互助的な夫婦』にならなければならないし、相手自身に興味関心を持ってもっと一緒に人生を共有したい、話したい会話がある明るい雰囲気を維持したいと思うには『情緒的・趣味的な夫婦』にならなければならないが、どちらかに傾きがあるとしても『最低限のバランスと状況に応じた切り替え(相手の心情への思いやりと対応)』がなければ、良好な夫婦関係は長続きしないだろう。