日本国内における原発再稼働に留まらず、トルコをはじめとする中東・アジアの国々に最新型の原発インフラを売り込もうとする安倍首相は、原発依存度を下げて最終的にゼロを目指す『脱原発路線』を放棄したかのように見えるが、ここに来て小泉純一郎元首相がカウンターパンチの『原発ゼロ論』を叩きこんできた意義はどこにあるのか。
財政再建との兼ね合いで博打的な要素も強いアベノミクス、使用済み核燃料の最終処分を棚上げしている原子力発電、福島第一原発サイトの汚染水タンクの増加などを冷静に見据えれば、小泉元首相は消費税増税による支持者離反も含めて、おそらく『安倍政権の賞味期限』をレイムダックを経た後の次期衆院選辺りと見積もっているのかもしれない。
小泉純一郎氏は『政局と大衆心理の読み・ワンフレーズポリティクス』の嗅覚は異常に鋭いところがあり、現在の自民党内や地方の支持者・青年局の間で急速に人気を高めている息子の小泉進次郎政務官に『ポスト安倍の求心力となるアジェンダ』のヒントを出していると見ることもできる。
世襲議員はダメだという世論は強いが、それでも自民党内の過半数の議員は世襲や親族に議員がいて地盤を持つ者であり、小泉進次郎はその中でも『容姿や弁舌・メディア露出(全般的な人気度)・押し出し・論争に耐えそうな気質』の上で抜きんでた存在感を示すサラブレッドであり、高齢・固陋のイメージが強い自民党において数少ない『若さ・改革の象徴的存在』にもなっている。
自民中心の政権で順当にいけば、10年以内に閣僚になることはほぼ確実(30代前半でも平の議員ではなく影響力も強まっている)、自民党政権が続かないとしてもそこから分派する政党での求心力としてのポジションの維持は堅いため、将来は首相になる可能性も低くないが(そういう風に予測できることが日本社会の擬似的な身分階層の存在や大衆のお上意識・セレブ好き・成り上がり嫌いのリアリティにもなっている)、父の純一郎氏の目からすると『原発推進政策』に深くコミットすることが『将来の政局・政界再編における致命傷となるリスク(もう一度の原発事故の恐れなど)』のように映っているのかもしれない。
即時に原発ゼロになどできないことが分かっていて、小泉純一郎元首相は『現状逆張りのワンフレーズ・ポリティクス』を打ってきたが、これは『原発依存度を下げるという公約』と『原発依存度を現状維持に据え置こうとしている安倍政権の原発政策』とがどっちつかずになっていて、最終的に『公約違反・既得権の維持者』という世論のバッシングが起こりかねない危うさを見越してのものであり、小泉進次郎氏と安倍首相の双方への警鐘としても受け取れる。
つまり、極論としての原発ゼロはアジェンダ提起の刺激剤であり、本筋としては自民党政権の残存年数を延長するため、『原発依存度の低下を数字として立証できるだけの原発政策転換』を分かりやすく示せというメッセージとして考えることができる。現状でさえも火力発電増加による電気代の上昇があるのだから、同じコスト増加を織り込むのであれば、事後的に脱原発の政策効果を明らかにできるような『再生可能な代替エネルギーの比率上昇』などにも補完的に着手しておいたほうが政治家としての安全策ではあるのだろう。
もう一つは、安倍首相が『原発依存度の低下という目標』について言及することすら殆ど無くなっていて、国民に『なしくずしで原発をこのまま据え置くのではないか(外国にまで原発をセールスしているのだから、脱原発・減原発は民主党に合わせただけのポーズ、虚偽だったのではないか)』と受け取られ始めている現状を見て、『原発関連の大きな事故・トラブル』がもう一度起こったら完全に自民党中心の政権が倒れる、既得権を事故後にも維持したと見られて自民党の信頼が瓦解するというクリティカルな問題意識を持っていると見ることもできる。