小室哲哉は『小室ファミリー』を売り出すプロデューサーとして一世を風靡したが、モー娘のつんく♂やAKB48の秋元康と異なる点として『自分が売り出している女性アーティスト』に連続して手を出したり別れたりを繰り返した、特に小室を半ば崇拝するような形で狂信的な恋愛をしていた華原朋美との別れ方が下手だった(シンデレラストーリーで舞い上がらせた相手を突如切り捨て、精神病に近い状態にまで傷つけて追い込んだという風に見られた)という部分でのマイナスイメージは強かったように思う。
小室哲哉の女性関係は『小室ファミリー』という内輪に閉じ過ぎており、その外部の女との親密な関係が噂されたことが殆どなく、見ず知らずの女にナンパすることなどはしそうにないシャイな小室の性格もあってか、『予め自分への好意・尊敬・力関係が明らかである(まず断られるリスクのない)ファミリーの女性以外の女性』には行かなかったのかもしれない。
小室がプロデューサーとしてヒットした後の女性関係は、華原朋美にせよ、結婚したdosの吉田麻美やglobeのKeikoにせよ、『先生を尊敬している教え子・上司を尊敬している部下・先輩に好意を持っている後輩』のような関係にある女性であり、小室にとってはアプローチしやすい相手ではあっただろうが、仕事上のリスクや手がけているアーティスト同士の諍いの恐れがあるものでもあった。
その意味では、小室哲哉は華原朋美のプロデュースに際して『アーティストに楽曲を書いたのではなく、好きになった恋人に楽曲を書いただけ』と述べたように、元々、『公私混同の仕事スタイル』だったのだろう。
華原以降の女性関係は、『次の恋人(妻)になる女性』を『前の恋人(妻)』がよく知っているという間柄であるために、前の恋人(妻)が受けたショックや裏切られた感じは相当に強かったと想像され、Keikoとの浮気発覚が原因で離婚した吉田麻美に対する慰謝料が異常な高額になった(自身と夫婦での浪費癖に加えてその慰謝料・養育費の返済のために巨額詐欺事件にまで手を染めたという経緯もあるらしいが)のも自業自得の観はあった。
個人資産が1000億円を超えるような全盛期にあった小室は別れる際には、『他に好きな女ができたから』の理由だけで離れる冷たさがあったとも言われるが、『遺恨・執念を残すような別れ方,慢心の過剰と相手の人格の軽視』というのは女性が男性を振る場合だけに限らず、逆に男性が女性と別れる場合にも一定のリスクを生じるものであり、小室は最近頻発したストーカー殺人事件には遭わなかったが世間からの人格評価はかなり下がってしまった(それと歩調を合わせるように不思議と小室ブームも緩やかに去っていった)。
小室の女性関係の側面では、小室ファミリーでも小室と男女関係にはならなかった安室奈美恵と篠原涼子はそれぞれ現在でも歌手・女優として一線級の活躍を続けており、小室と親密な関係になった相手は余り芸能人としても家庭人・個人としてもそれほど幸福・成功を得られなかったというのは何らかの因果を感じさせるところもある。
1000億円超の金融資産があれば通常の金利収入だけでも食いっぱぐれる恐れはないどころか年収数億円以上を定期的にローリスクで確保できるのだが、大掛かりなアジア進出の投資話(半ば詐欺的な投資・起業)に乗せられてしまいその資産の大部分を喪失してからは、往年のようなヒット作や人気アーティストを出すことができない状態に陥り、自ら作詞作曲した楽曲のほぼ全ての著作権を売却して『定期的な印税収入の原資』までも無くしてしまった。
華原朋美は小室哲哉の個人的な気まぐれにも似た恋愛感情をとっかかりにして、短期間で歌手としてのスターダムを昇り詰めることができて大きな夢に酔うことができたが、そこからの余りにも早い小室の気変わりと切り捨てによって『自己イメージ・将来設計・男女の恋愛関係の自己調整』が不可能になり精神のバランスを崩したように思うが、誰でもこのレベルの極端な環境・成功と将来の見通しの急下降(砂上の楼閣の足場崩壊)に晒されれば多少は精神がおかしくなっても不思議ではない。
華原は『小室との関係性の急変(シンデレラストーリーからの突然の放逐)』によって、小室は『経済状況・音楽評価の急変』によって異なる形での人生の危機(精神疾患・実質の破産と詐欺罪での摘発)に直面したとも言えるが、両者それぞれにその危機から過去を振り切って立ち直ろうとしているのは凄いと思う。