三重県四日市市の女子中学生殺人事件:高校生の容疑者のツイッター上での間接的自白

昨年8月29日、三重県四日市市で花火大会から自宅に帰る途中で、中学三年生の寺輪博美さん(当時15歳)が殺害された事件は、何の手がかりもないまま半年以上の歳月が流れていたが、高校を卒業したばかりの18歳の容疑者が逮捕されるという急展開を見せた。

逮捕の決め手になったのが何だったのかについて様々な推論・憶測が為されていたが、報道を通じた警察の発表によると、寺輪さんが殺害される直前に立ち寄った深夜営業のスーパーで、寺輪さんを見ている(あるいは寺輪さんに追従して店を出た)容疑者男性が映っていたことが、『人物特定』を中心とする詳細な捜査のきっかけになったというような話もあった。

午後11時過ぎの時間帯、深夜営業のスーパーにいた客の数が相当に少なかったことが捜査を後押しした側面もあるが、犯人の高校生がスーパーや犯行現場の近くを生活圏としていたこと(車で遠い地域にまで出て犯罪をしたわけではないこと)が人物特定をより容易にした。

寺輪さんの近くでスーパーの監視カメラに映っていた人物の特定が終わっただけでは、当然容疑者として有力視されるまでにはいかないだろうが、『周辺の聴き込み調査』で容疑者宅にも警察が訪れていたことが、容疑者本人のツイッターでも明らかにされており、段階的にアリバイの虚偽が暴かれ容疑が固められていったのだろう。

警察は人物特定をある程度まで終えた後の聞き込みで、アリバイ(当日の行動履歴)の検証や任意での指紋採取を行っていた可能性が高いが、被害者の寺輪さん所有のスマートフォンに容疑者の指紋が残されていたことが物証となっている。人物特定とツイッターの容疑者アカウントとの照合が終わっていたとすると、『ツイートされた内容』からも、この18歳少年がこの殺人事件に何らかの形で関与していたことが合理的に推測されたはずである。

容疑者と思われるアカウントのツイート(つぶやき)は、複数回にわたって近所で発生したこの中学生殺人事件について言及しているのだが、『犯人が自分の犯した犯罪について無関係を装って積極的に言及する(あるいは放火犯に典型的なように犯行現場にもう一度出向いていく)』のは、犯罪心理学では『自分が犯人であればそれについて積極的に言及するはずがない(人々の意識をその事件から遠ざけて忘れさせようとするはずだ)』という他者の合理的心理を予測した上で選択される『犯罪者の自己防衛機制(無実の自己証明欲求)に基づく行動』である。

犯罪者ではなくても『自分の心に疚しいこと・触れて欲しくない問題』がある場合には、人間の多くは『予防線を張るような作為的な言及・相手よりも先手を打ってその話題に切り込む姿勢(自分がその話題や事象を特別に意識してはいないよというポーズ)』を見せやすく、こういった心理と行動の相関はかなり一般性を帯びたものでもある。

しかし、事実の発覚や警察の接近を恐れる犯罪者は、必要以上にその犯罪事象について言及し過ぎて『間接的証拠』を積み上げる墓穴を掘ることも少なくないのである。そもそも一般の人は『自分が犯人ではないこと(事件と無関係でありその現場にはいなかったこと)・その特定の犯罪が怖いということ(その犯罪者が憎くて怖くてたまらないということ)のアピール』を必要以上に繰り返してする必要がないことから、よほどその事件事故に興味がない限りはそれほど繰り返しの言及は行われない傾向が強い。

容疑者のものと見られるアカウントでは、『女子生徒の死体が見つかり、手の震えが止まらない』『家に警察が来ていた。近くの人に聞き回るらしい。平和な町だったのに気持ちの整理がつかない』など、事件の加害行為に関与したものでないと(あるいはよほど共感性が強くて情報レベルのショックに弱い純粋な人でないと)起こることが考えにくい生理的反応や精神的葛藤が綴られている。

幾ら近場で起こった殺人とはいえなぜ事件と無関係な人が、『自分の気持ちの整理(混乱したり苦悩したりしている気持ちの整理)』をつけなくてはいけないのか、普通に考えれば怪しまれる恐れのある発言であるが、高校生の考え方をトレースすれば『事件など起こすはずがないほどの善人・怖がり・正義漢』を間接的にアピールしたほうが安全という浅い読みが働いていた可能性もある。

被害者の女子生徒が自分の直接の知り合いでもない限りは、手の震えが止まらないほどの生理学的徴候のある動揺・不安の現れ方はやや異常であり、ここから合理的可能性として推測されるのは『被害者女性と深い関係がある人物』か『犯罪行為と何らかの形で関わっている人物』かということであり、この書き込みを捜査員が目にすればまず確実に『より詳しいアリバイ・事情聴取』をこの人物に対して行っておいたほうが良い(とりあえず可能性をつぶしておいたほうが良い)と判断するはずである。

容疑者の少年は、『スーパーで偶然、寺輪さんを見かけた』『被害者を偶然見つけ、1人で犯行に及んだ。金目当てでやった』などと自供しているようだ。

しかし、『晴れ着の女子中学生を標的としたこと・金目当てにしては目的と場所と手段のつながりがないこと・日常的な金遣いの荒らさ(奪ってまで得なければならない金のニーズ及び使い道)や恐喝強盗の前科が認められないこと』などから、金目当てというよりも性犯罪(強制わいせつ)を行おうとして空き地に引きずり込んだと考える方が確率としては高いのではないか。

被害者の女性が声を上げて騒がれかけたため、強制わいせつの発覚を恐れてパニックに陥り、とっさに口・鼻を塞いで窒息死させたという衝動的なわいせつ未遂の末の殺害である可能性のほうが高いようには思えるが(あるいはナンパと強制わいせつの中間的な絡み方をして抵抗に遭って騒がれたなど)、容疑者のプライドかイメージの保守のために金目当ての動機の主張を簡単には譲らないかもしれない。

金目当ての恐喝・強盗であれば、お金をあまり持っていないことが明らかな浴衣姿(花火の帰り)の女子中学生などをターゲットにすることは考え難く、また恐喝するにしても大声で凄んでカネを要求するだけで女子中学生なら大人しく数千円の所持金くらいは出すはずで、6000円の所持金を奪ったらそこで解放するのが普通である。

恐喝の金目当てで声を掛けて6000円を奪えば、それで有り金を巻き上げる目的は達成されているのだから、その口封じのために更に重罪となる殺人までしようとする人物などはまずいない。金目当てなのであれば、わざわざ暗がりの空き地にまで引きずり込んで(そもそも真っ暗な空き地ではお金がいくらあるのかも見えない)、口を塞いで窒息死させるような最悪のシチュエーションにまで雪崩込む可能性は相当に低いのである。

衝動的・無差別的な性犯罪に関しては、それ以前の性格傾向や人間関係、社交性などと相関しないケースも多いことから、この容疑者の18歳少年が『学校で成績優秀な人気者・明るくて社交的』であっても、こういった犯罪を犯す可能性が皆無なほどに低いと合理的・因果的に予測することは極めて困難だ。

特定の相手をつけねらって準備した計画犯ではないことから、本人にしても初めから殺人を意図していた事は考えにくく、根っからの悪人というよりは『自己制御能力が大幅に低い人物・場当たり的な判断を勢いでしてしまう軽率で無思慮な人物・その場の衝動や感情に流されるばかりの主体性のない意志薄弱型の人物』をイメージさせる。

『犯行後のいつも通りの生活態度・コミュニケーション』にしても、パーソナリティや道徳性・良心の評価としては無反省な態度で最悪の人間性ということになるのが当然だが、凶悪犯罪を犯した犯罪者が、意識的あるいは無意識的に『犯行事実そのものの抑圧・忘却・逃避』を行ってしまうこと自体(犯罪者がまるでそんな事実はなかったのだと自分に自己暗示をかけてしまって何食わぬ顔で日常生活を送ること)は珍しいこととは言えないだろう。

概ね、凶悪犯罪を犯しても自首しない人(逮捕されるまでは逃走したり知らぬ存ぜぬを決め込む人)は、生粋のヤクザ者でもない限り、好むと好まざるとに関わらず、今まで通りの生活や仕事(あるいは常識人としての振る舞い)を維持している比率のほうが恐らく高いと考えられるからである。