第二次産業(工業・製造業)の現業部門の作業では、労働時間と賃金の相関関係は強くなるが、それは大量生産のモノづくりでは『1時間当たりの生産量・原価を差し引いた利益』を計算しやすいからで、その製品の需要・注文が未成熟な成長市場にある限り、労働者が働けば働くほど製品の生産量が増えて生産性(売上)が上がるからである。
この場合の、生産管理体制(利益を上げられる仕組み)の責任は経営方針・需要予測・工場稼働率を決定する経営者にあり、労働者は経営陣の決定した方針に基づいて、『時間単位当たりの生産量』を黙々と増やして売上・利益を増やし続ける役割を果たす。第二次産業の労働者は、『基本給』という最低ラインの給与をベースにしながらも、働いた時間に応じた賃金(残業をすれば時間数に応じた割増賃金)を受け取る権利を有する。
製造業・建設業などの現場で主に身体(有限の体力)を使って働く人たちは、労働時間と賃金との相関関係を崩せば、資本家や経営者から『増加した利益の部分』を搾取されるだけではなく、『人生の時間コスト・健康リスク』だけが大きくなって一方的な損失を受けるだけだから、政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)が提案するような『労働時間と賃金が相関しない給与制度』に同意する理由がない。
工場労働・現場労働というのは、重化学工業によって文明水準を進歩させた近代を象徴する労働だが、これらは時間割で区切られた学校教育制度が『時間管理しやすい労働者の育成』を一つの目的にしてきたように、『一定時間の労働+αの時間管理(行動管理)された労働』を前提にしている。
『一定時間の労働(ベースとなる労働時間)』というのは、一日働いた後に帰宅してから休養すれば、次の日も元気に同じ労働を繰り返すことのできる労働時間のことであり、労働者が明日も今日と同じように働けるだけの元気・体力を回復できる(決定的に心身の健康を崩さない)『労働力の再生産』に関わってくる概念でもある。
強制の指示を受けたり厳しく作業管理されたりする肉体労働は時間を気にせずに延々と続けることが極めて難しく、基本的には『義務的にやっている感覚』と切り離しづらい働き方である。過労・酷使・労災(精神疾患・自殺等も含む)などの問題に発展する恐れがあるだけではなく、『労働力の再生産(休養と労働のバランスによる健康で意欲的な労働力))』を維持する上でも過度の長時間労働は不適切だからである。
安倍政権が成長戦略として提案している『労働時間にかかわらず賃金が一定になる働き方』は少なくとも製造業・土木建設業などの現場労働には適さない制度だが、それは政府もわかっていて同種の制度は数年前に『ホワイトカラー・エグゼンプション(ホワイトカラー管理職・専門職層の例外規定)』として持ち出されてきたという経緯がある。
この制度の前提は、『労働力を投下すればするほど価値(利益)が増大するという成長期の第二次産業の前提』が通用しない産業分野や職務内容、職位・役割が増えたということであり、そういった分野や役割においては『一定以上の固定給』を保障した上で『時間にとらわれない仕事』をしてもらったほうがコスト削減や生産性向上につながるというわけである。
当初は、部長級以上のホワイトカラーの上位管理職や高度な専門職に限定しており、職場で一定以上の裁量権限と行動の自由度(職場での最高責任者に近い職位にある人=権限が自分にあり上司から絶えず監視・叱責されたりしておらず自己管理・裁量労働できる立場)があるために、『時間にとらわれない仕事』をしても自分の裁量・判断で必要なだけの休養は取れるはずで、抑圧的な過労問題には発展しないというストッパーがあった。
端的には、ホワイトカラー・エグゼンプションに代表される『労働時間と賃金の切り離し・成果給の重視』は、一国一城の主である自営業のような人の働き方やクリエイティブな作業をしている人の働き方に倣ったものである。つまり、『労働時間が長ければ長いほど成果が上がるわけではない職務』や『発想力や企画力、マーケティング、創作性、管理能力などが問われる職責』などに対して適応的なものである。
例えば、純粋な創作性や市場の評価が問われる小説・漫画などの執筆が典型的だが、これらの労働には『時間給』よりも『成果給』のほうが適しているのはおよそ明らかである。
あまり才能や素質、アイデアがない人が朝の8時から翌日の午前3時までの長時間労働でうんうん唸って面白くもない原稿を徹夜で何とか何枚か上げても、経済価値は概ねゼロに等しく、経営者は給料を支払いたくはない。逆に才能と意欲のある人が、朝8時に来て昼12時までに面白い作品の続きの原稿をパパッと書き上げたほうが労働時間は短くても、経済価値は圧倒的に高い。
実際には芸術・創作の作業をする人を固定給で雇おうとする会社はまずないし、売れるだけの才能がある創作家(小説家・漫画家など)は固定給で雇われたくもないので成り立たないが、『労働時間と相関しにくい仕事』の典型的イメージではある。
頭脳労働や組織管理、研究職の仕事の多くでは、やればやるほどに利益が増えるという相関関係が成り立たなくなり、労働こそが富・利益の源泉という古典的な労働価値説の例外になるケースが多く、『良いアイデアやビジネスの方向性を決めるための考える時間,プログラムや文章・絵・計算式を考えながら書く時間』というのは単純な時間給の考え方とは余りなじまないのである。
ストーリーの創作やキャラクター設計、作風の確立を自力でできない漫画家志望の人などは、(描けば売れるとわかっている漫画の絵を部分的に担当して描く)時間給で雇われるアシスタント的な仕事をすることもあるが、『時間給で雇われる(割増賃金が支払われる)』というのは『やれば儲かることが分かっている仕組み』にのっかってその部分を時間単位で担当するということである。
創作物・文化芸術ほどの市場の選択性のない高度な専門的技能や主体的な仕事内容においても、『労働時間に拘束されない働き方』には一定の合理性があり、『考えながら・交渉しながら・判断しながら行う頭脳労働や組織管理(あるいは自分の裁量や判断で労働の強度や仕事の内容及び方向性をコントロールしやすい職務や職位)』においては、『一定以上の固定給・身分』を保障された上で自由に発想力や演算力、交渉力、企画力、創造性を発揮できる環境のほうが生産性は高まるからである。
今回の提案は、ホワイトカラーの管理職や専門職(技術者)に限定せずに、加入率の高い労組のある会社との間で同意の取れた一般社員にまで拡大するというものだが、『労働時間と賃金を切り離しても良い職種・職務・職責の特徴』は以下のようなものになるだろう。
1.労働者の平均所得以上の所得が『固定給』の形で保障されており(成果給があるにしてもそれに上乗せする形になっており)、残業代がなくても自分・家族の生活に支障が生じない。
2.職場における一定以上の裁量・権限・職位と言動の自由度(必要に応じて休養を取れるなど)があり、上司から強制される形での『長時間労働・過労状態』に陥るリスクが低い。
3.職務・仕事の内容が『時間管理される労働』に馴染まない性質のものであり、『単純な労働時間の長さ』よりも『成果につながる本人固有の能力・発想・創造性・仕事のリズム・意欲(モチベーション)』のほうが重要で、固定された時間管理の枠組みから外れたほうが仕事が効果的に調整しやすい。