AKB48の川栄李奈・入山杏奈の襲撃事件と無差別殺傷事件を起こす人たち

梅田悟容疑者(24)が岩手県で開催されていたAKB48の握手会で、川栄李奈さん(19)と入山杏奈さん(18)をノコギリで切りつけて襲撃した事件は、被害者がアイドルグループAKB48のメンバーであったこともあり、当初は『狂気的・妄想的なファンによる凶行』の可能性が疑われていた。

名前知らず「AKBなら誰でも」=握手会襲撃で逮捕の男-岩手県警

梅田容疑者が『CD添付の握手券を所持していたこと・他県の握手会の開催日時や場所を知っていたこと・青森県から約100キロもの長距離を自転車で来ていること』から、AKB48に全く興味関心がない人物だとは思いにくいが、本人の自供ではとりあえず『AKB48のメンバーなら誰でも良かった・日常の不満からとにかく誰かを殺したかった(傷つけたかった)・誰かの特別なファンだったり恋愛感情云々という事はない』という話になっているようだ。

AKB48を襲撃する事件の計画や動機については、『AKB48やそのメンバーに対する仮想的な恋愛感情や特別な思い(歪んだ独占欲・嫉妬心・執着心・逆恨み)』だけではなく『注目度・人気度の高いAKBを襲撃すればその人気に便乗して自分も目立つことができる(一般人を殺傷するよりも世間を騒がせやすく自分の存在をアピールしやすい)』という動機を想定することはできる。

あるいは、AKB48が好きだとか独占したいとかというポジティブな感情のねじれだけではなく、自分は惨めでパッとしない人生なのに、あんな奴らが何でこんなに人気があってみんなにちやほや大切にされるんだといった(普通は女性アイドルが相手だと男性には起こりにくい心理だと思われるが)『人気者に対する一方的な嫉妬・怨恨』といった感情が影響している可能性もある。

例えば、漫画『黒子のバスケ』の作者に対する陰湿な脅迫事件の被告は、自分と同世代の成功している人気漫画家に対して、『一方的かつ妄想的な嫉妬感情』をこじらせて執拗な脅迫・威力業務妨害を繰り返していた。

今回の事件は、AKB48やそのメンバーに対する個人的な恋愛感情や妄想的な好意・執着などから発しているというよりは、容疑者本人が話しているようにAKB48に多少は好意や関心があったかもしれないが、『犯罪を犯す時点』ではどうせ犯罪者になるならできるだけ大きな事件を起こして、最後に自分の存在を世間に対してアピールしてやろうといった『ネガティブな自己顕示欲・マイナス方向での承認欲求』が中心になっていたのではないかと思う。

刃物を持って襲いかかったということで罪状は『殺人未遂罪』となっているが、『選択した凶器・犯行の計画性や執拗度の弱さ』などから、何が何でもAKB48のメンバーを殺してやろうという明確な殺意は弱かったようにも見える。強い殺意があれば、刃が鋭利ではなく一撃で致命傷を与えることがまずできない『ノコギリ』を凶器に選ぶことはないはずである。

容疑者が使ったノコギリは刃渡り50センチという大きさから危険な凶器としてイメージされやすいが、ノコギリは刺したり切ったりする凶器としての殺傷能力は低い、切りつけた後に押したり引いたりしないと相手に深手を与えられないし、ノコギリの一つ一つの刃は小さいので内臓にまで達するような傷を与えることは困難である。

明確な殺意があれば、刃渡りが短くても一撃で急所に深く突き立てられる先の尖ったナイフや刺身包丁のようなものを選択したのではないか。むしろ刃渡りの長さがある程度短いナイフの方がコンパクトかつ小さな動き(ばれにくい動き)で刺しやすく、柄も短いので周囲もなかなか簡単には凶器を握って取り上げることができない。

鋭利なナイフを振り回している相手から凶器を奪おうとすれば、制止する人が大怪我をするリスクが格段に高くなる。だが、50センチもの長さがあるノコギリだと柄を相手から握られやすく(小さなモーションで深く刺されたり切られるかもしれないナイフと比べると相手に強い恐怖心を与える効果も弱い)、振り回す時にもオーバーアクションを取らなければならない。複数人の生命を狙う無差別殺傷の『本気の動機づけ』があれば、ノコギリはまず選ばなかったはずだ。

そこから類推される梅田容疑者の動機の中心は、『不特定多数の実際の殺傷(他人を傷つけることそのもの)』というよりもむしろ、『自分に対する注目・承認の獲得+自分の人生に対する諦め(世間・メディアを騒がせること及び自分の人生を終わりにしたいという後ろ向きな自己破滅願望)』にあったのではないかと思われる。

無論、そこには死刑判決も有り得る複数人を殺す殺人罪までは犯したくないとの『自己保身の感情』も混じっていて、とにかく大きな騒動になる程度に誰かを傷つければ良いとの加害行為のさじ加減が働いているだろう。

『AKB48の襲撃事件』の後には、石川県金沢市の市立小立野小学校の運動会に、果物ナイフを持った31歳無職の男が乱入してきて児童を傷つけようとした無差別事件も起こっているが、この容疑者の動機も『日常生活に不平不満があった・誰でも良いから傷つけたかった』というもので似通っている。凶器も殺傷能力の低い果物ナイフであり、この事件も『不特定多数の実際の殺傷』よりは『自己破滅願望(自暴自棄の錯乱)+自分に対する注目・承認』を求めたものだろう。

日本でも近年、何件かの無差別殺傷事件が起こっているが、欧米先進国でも無差別殺傷事件は少なからず起こっており(銃器・爆発物が使われたりしてより被害者の規模が大きな事件が多い)、アメリカでは特に学校・市街地での無差別発砲事件が銃規制の問題と絡んで絶えず議論を巻き起こしてもいる。

いずれの国で起こる無差別殺傷事件の加害者もその特徴や境遇はある程度似ている。『社会生活(職業活動)や人間関係が上手くいっておらず、自分自身が不幸・不遇・孤独だと感じている人』や『自分を社会・他人の被害者だと思っていて、社会・他人を敵視したり一方的な復讐感情を抱いている人』である。

もちろん、どんなに不幸や不遇であっても大多数の人は無関係な他人を殺傷しようと考えることはない。自分の人生が上手くいかないことを社会や他人のせいにしてしまう人は結構多いものだが、それが『社会憎悪の行動化(実際の反社会的行動・攻撃行動)』にまで進展してしまうことも殆どない。

特に『他罰感情』よりも『自罰感情』が上回りやすい日本では、自分の人生や人間関係がどうしようもないと感じるところにまで追い詰められていっても、責任転嫁で逆ギレして他人を殺傷するのではなく、現実社会や人間関係に適応できなかった自分(みんなができていることを上手くできなかった自分)のほうを責め過ぎて自殺してしまうことのほうが多い。

無差別殺傷事件の加害者の背景にあるのは、『孤独感・貧困問題・無力感・自己嫌悪・他者否定(社会憎悪)・決行できない自殺願望(自己の無価値化)』であるが、これらの要因が複数積み重なると自分を『社会共同体のメンバーの一員(間接的であってもお互い様で助け合いながら社会を構成している一員)』とは思えなくなる疎外感や被害感(その反動としての社会憎悪)がどんどん強まる。

現代では学生の就活や初期のキャリアプランの重要性だとか、社会格差の固定化・貧困(失業)の自己責任だとかばかりを強調する情報が氾濫しており、初めの就職や職業に躓いたらその後もずっと貧しくて不幸な人生を歩むというような硬直した人生観に支配されてしまっている若者も増えている。

極端な若者になると学卒の就活に失敗したからというだけで、突然自殺してしまったりひきこもりになってしまったりする事例もあるが、人生や仕事を勝つか負けるか、富裕か貧乏か、人気者か取るに足らない者かの二元論で捉えすぎることの弊害は増している。正規雇用と非正規雇用の格差によって、頑張ってもアルバイトのような待遇しか得られないということで次第に労働意欲を失ってしまうような人もいる。

20~30代なら高望みをしなければまだまだ現状からのやり直しが効く年代ではあるのだが、現代の日本では失業状態がそのまま『社会からの孤立・人間関係の喪失・何を頑張れば良いか分からない状態』につながりやすい。

自分自身で情報を調べて再就職のキャリアプランを立てたり、仕事のための勉強・資格取得などをしたりすることができない人だと、長期間にわたって誰からもケアされずに『失業・無縁(孤独)・貧困・無気力の状態』で放置されやすく、『社会における自分の存在意義の希薄化(誰からも必要とされない状態)』によって次第に非社会的あるいは反社会的なメンタリティに傾きやすい。

誰からも必要とされない、話しかけられないという状態の継続は、自分が他人からまともな人として相手にされない『透明人間(自己の無価値化)』になったかのような錯覚を抱かせる恐れがあり、そのことが『自己顕示欲・承認欲求の飢餓感』を引き起こして、犯罪でも何でもいいから他人や世間に注目されたい(自分が他人に見えているとか世間に影響を与え得る存在であるとかいう実感をとにかくどんな形でもいいから得たい)という自暴自棄な欲求へと転換する原因にもなる。

失業した若者や何もやりたいことがない若者の親にしても、どういった人生・仕事・人間関係のアドバイスをすれば良いのかが分からない(本人の自主性・やる気に任せるか、とにかくどこかに就職できるように頑張れというかくらいしかできない)ということが多いかもしれない。

しかし、『仕事・収入・人間関係がないことの苦しみ』に加えて『本人の楽しめることも未来の希望も全くない状態の長期化』があるのであれば、孤独感・疎外感・無気力を緩和するための専門的なメンタルケアやどこから再就職活動を始めれば良いかのキャリア相談、職業体験・人間関係のきっかけ作りの支援なども必要になってくるかもしれない。