人の名前にも『時代の流行・新しさ古さの感覚』があるのは当然だが、前例・慣習を完全に無視して『自分の好きな漢字・音韻』の組み合わせに突っ走るとセンスが悪ければグロテスクや軽薄に陥る。
自分の名前がどうしても好きになれない! これって被害妄想!?
現代の命名は昔と比べると『他人と重ならないようなオリジナリティ(前例のないような名前)』を求める傾向が強く、『漢字の良い意味・おしゃれな響き(英語名のような響き)・特別な高貴さや能力の願望の投影』を捏ねくり回し過ぎてキラキラネームと呼ばれる種類のようなものに行き着きやすいのかもしれない。
名前によって特別な高貴さや成功、能力、魅力を身につけられるというのは、『原始的な呪術思考・言霊の神秘思想』だが、現代では精神的貴族主義のような自意識(プライド)の高さが『自己愛の投影された特別な名前(平凡さを嫌う強烈な存在・力の志向性)』への憧れになりやすい。夜露死苦的な感性でもあるがw
しかし社会的な動物である人間は、『他者より圧倒的に抜きん出た影響力を持つ人』になるより『他者との相互的コミュニケーションを通して好かれたり認められる人』になるほうが結果として幸せである可能性が高い。なので、『親しみやすく覚えてもらいやすい名前』として少し古い感じがあっても良いと思うが。