映画『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の感想

総合評価 86点/100点

人類は宇宙からの不気味な侵略者“ギタイ(触手を持つエイリアン)”の猛烈な攻撃を受けて絶滅の危機に晒され、ドーバー海峡を渡ってヨーロッパ全土を破壊しようとするギタイの侵攻を食い止められるか否かの重要な戦局を迎えていた。人類の兵士は、筋力を増強させてマシンガンなどが装備されている最新兵器“パワースーツ”を身につけて戦うようになっている。

米軍のメディア担当の少佐ウィリアム・ケイジ(トム・クルーズ)は実戦経験がまったくない臆病な兵士で、はじめから戦わないつもりで軍隊にメディア・広報の担当官として入隊していた。ケイジは『自分は血を見ただけでも卒倒するタイプなので戦いは絶対に無理だ』と将軍にごねるが、人類全体の存続に関わる状況の中、無理矢理に戦闘の最前線に送り込まれることになった。

怒鳴りつけられながら前線基地に向かったケイジだったが、空輸中にギタイの攻撃を受けて移送ヘリが炎上、何とか戦場には着地したが、案の定、短時間で動きの速いギタイに殺されて戦死してしまった。しかし戦死したはずなのに、ケイジは再び目覚める。そこでは出撃の前日と全く同じ場面が繰り返されていた。ケイジは何度戦死しても、出撃の前日に戻って戦うというタイムループを繰り返す。

戦場でジャンヌ・ダルクになぞらえられる最強の女兵士、フルメタル・ビッチと呼ばれるリタ・ヴラタスキ軍曹(エミリー・ブラント)と出会うが、ギタイを一人で数百体も葬ったリタもまたケイジと同じ『タイムループの経験者』であった。

何度も何度も同じ戦場に復活して放り込まれるのだから、初めにどこから敵が攻撃を仕掛けてきて、次にどこが爆発炎上してどこに動けば攻撃を避けられるというような『未来予測の地形図』が次第に頭の中に出来上がってくる。ケイジもリタと同じく、タイムループによって『歴戦の勇者』のようにして多くのギタイを倒すことができるようにはなっていくが、すべてのギタイを倒して勝利することまではとてもできない。

どれだけ同じ戦場を繰り返し体験して、敵の配置や攻撃手順、安全な場所を記憶して動いても、ギタイの戦闘力は圧倒的であり人類の連合軍の劣勢は明らかである。それは、最後には必ず戦死してしまう『クリアできないゲーム』であった。そして、リタは輸血によって既にタイムループの能力を失っており、ケイジとリタの関係や連携は毎回毎回ゼロからやり直しで、リタはケイジのことを全く覚えてもいないのである。

タイムループは元々『時間』を自由に操作できるギタイの特殊能力であり、ギタイのα(アルファ)と呼ばれる優性個体の血液を浴びると、人間にも一時的にタイムループの能力が伝染することがある。ケイジはゼロから始まるリタとの関係を何とか少しずつコントロールして、『リタとの連携・共闘』によって中央集権的な有機体であるギタイの秘密に辿り付き、『決まりきった戦闘ゲームのプロセス』を変えるための努力を必死に続ける。

ギタイに打ち勝つための唯一の方法を解明したケイジとリタだが、それを実際に実行するためには、毎回同じ運命を繰り返して死んでいく初対面の軍隊の仲間たち(ケイジにとっては何十回も顔を合わせている仲間だが)に、『いつもとは違う行動』を選択させなければならない。それは機械的に上官の命令に従うように訓練されている軍隊に、上官の命令や従軍の義務に逆らうように仕向けることであり、そのためには自分が『未来を知る者』だと信じてもらわなければならない。

当然、軍隊の仲間たちの反応は『予言者気取りの頭がおかしい奴』ということになるが、ケイジはそれぞれの兵士のあらゆる個人情報と話す内容を『何十回ものコミュニケーションの機会』を利用して集め続けて記憶している。『兵士たちがどのような人生を送ってきてどういった背景を持っているか・次にその人が何を言ってどんな反応をするか・この次にどんな出来事が起こるか』という初対面の自分であれば知り得るはずのない詳細な情報を持っており、それを兵士たちの説得材料として活用する。

計画的に繰り返されるだけの未来の微調整を何度も戦死して繰り返しながら、『変更不可能に見える人類絶滅の結末』を回避しようとするケイジとリタは、ギタイ全体を統制する中枢神経のような存在である“Ω(オメガ)”と名づけた個体の居場所を懸命に探し続ける。

激烈な戦闘場面やギタイの集中攻撃のVFXも臨場感があって良いが、『同じ状況を繰り返しながらの学習の効果』や『地道な状況転換(前回とは違う行動選択)の積み重ねによる大きな進路の変更』が目に見えて実感できるのが面白いところだろう。

一回だけしか生きられない(死んでしまえば現世を生きる個体・意識としては終わり)、時間を決して巻き戻せないのが人生の普遍的な本質であるが、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』では、何度死んでも人生(戦闘)をやり直して繰り返せるが結果は変わらないというもどかしさ(終わりなき戦死の閉塞感)の中で、『決定的な予定調和からの離脱(輪廻のようなタイムループの切断と破滅回避の活路の発見)』を成し遂げていく。

決まった未来・運命を変えられる可能性があるというメッセージが、エピローグのカタルシスになっている作品。