こういった疑問を抱く人も近年は特に増えているようだが、この答えは『終戦前後の大日本帝国の支配体制及び生活状況が悲惨であり既に厭戦気分が強かったから・自国の政治家や軍人が統治しているからといって必ずしも日本人の生命及び権利が大切にされていたわけではないから・アメリカの占領統治が日本人の反感を買わないことに腐心したから』ということになるだろうか。
何より、戦後日本の実際の歴史的な歩みには、敗戦のショックや屈辱(暗い見通し)を打ち消すだけの焼け野原からの復興・前進・急成長による明るさがあり、それは大勢の日本人にとって日本がアメリカと同等の豊かさを持つ先進国に成り上がっていくというサクセスストーリー(非軍事的な経済競争・技術開発での勝利)として受け取られた。
血も涙もない『鬼畜米英』と教育されていた日本人は、戦争に敗れれば男はみんな殺害されたり奴隷にされ、女は強姦でもされるものと思って決死の総力戦に奮戦したが、いざ実際の占領統治が始まるとアメリカ軍は暴力的・虐待的な支配や使役を行わず、むしろ日本人の飢餓・貧困・不自由に配慮する焦土からの復興支援プランを示したことで、日本人の大多数は肩透かしを食らった。
日本政府は配給を滞らせて飯を食わせてくれず、逆に食糧をすべて軍のために徴発していったが、メリケンは庶民でも飯(パン)が食えるような食糧支援プランを講じてくれた、戦後すぐの荒廃し尽くした焦土における飢えと不安、そこに与えられた米軍からの配給食糧の恩恵は、長年の教育で刷り込まれた日本人の欧米憎悪(白人の鬼畜視)を緩やかに崩すに十分な効果を持っただろう。
アメリカから流入する華やかな文化文物・娯楽・映画・ファッション・進んだ機械は、『日本の後進性』を第二の黒船ショックのように刺激して、大日本帝国時代に持っていた、日本はアメリカやイギリス以上に先進的な素晴らしい国(日本人はアメリカ人やイギリス人よりも皇国・天皇から赤子として大切に処遇されている)という幻想があっという間にかき消されてしまった。
軍事的な総力戦で敗れただけではなく、国民の自由や幸福、娯楽、政府の社会福祉や人権保護、男女平等の領域においても、日本はアメリカやイギリスに及んでいなかった現実を突きつけられる格好になり、『明治維新以降の殖産興業・自由民権・物質文化の向上』が昭和初期に頓挫してしまったことで、日本人は『国・天皇のために全てを捧げなければならない臣民(命・身体さえも拘束され得る非自由民)』にとどまっていたことに気づかされるのである。
結果、日本人は『初めから勝てない戦争(圧倒的に経済・物量も軍事も文化娯楽も進んでいる米国との無謀極まる戦争)』に政府や軍から騙されて駆り出されたという被害感を持つことにもなった。これは半分真実、半分捏造とでもいうべき被害感である。
当時は戦争(外国嫌悪)や国家主義(天皇崇拝)に賛同して貢献するような国民になるように教育されていたのだから、『戦争反対・個人主義・平和主義』などの価値観を持つ国民は殆どいなかった。
満州事変や国連脱退、三国軍事同盟、真珠湾奇襲など、英米との軍事的緊張が高まり衝突していくイベントに際して、日本人の大多数が興奮して拍手喝采したというのも事実である。日本の帝国主義や国体思想は『国民教育の前提』なので、日本の支配圏の拡大やアジアでの軍事的プレゼンスを押さえ込もうとする英米が嫌いな国民が多いのは当然といえば当然であった。
東京裁判(極東軍事裁判)で、政治家・軍人・右翼思想家などの戦争指導者を『戦争犯罪人』として処罰していった連合軍の『戦争責任の分断政策』も、『日本の一般国民や天皇は悪くなかったという免罪効果』を発揮し、一億総ザンゲの戦争責任のくびき(罪悪感・敗北感の後ろめたさ)から国民を解き放った。
戦犯指名された東條英機や東郷茂徳、岸信介、大川周明をはじめ『一部の国家主義者・右翼思想家』が、国民を洗脳したり騙したりして、戦争などしたくもなかった一般国民を無理矢理に国策としての戦争に巻き込んでいった(反対すれば非国民・売国奴として社会的制裁や法的処罰を受けるので誰も反対できない空気が作られた)という『被害者としての一般国民のストーリー』が作られた。
『当時の国際常識(形式上の道義と武力の強弱で勢力圏や利権が確定される帝国主義)・国民教育(国家に奉仕する義務が最優先の非自由主義)』を考えれば、国民のかなりの部分には自発的な戦争協力・排外主義・帝国主義の気分も見られたはずだが、そういった教育をするような法律や世論を作ったのも戦争指導者(実際は国体思想や臣民道徳を制度化・教育化していった高級官僚)ということになった。
『大本営発表の虚偽性』が覆い隠せなくなった大東亜戦争末期にはこれ以上の負担・犠牲・飢えに耐えられないという厭戦気分や反政府感情もかなり高まっていたため、広島・長崎への原爆投下は『アメリカに対する報復感情』よりも、むしろ『日本の総力戦体制の崩壊(反撃及び本土決戦の不可能性)』を印象づけるものになった。
こんな大量破壊兵器を市街地(民間人)に落とすのは犯罪だというのは戦後の道徳感情であり、当時の日本は『一億玉砕・本土決戦・竹槍と投石の武装』など民間人でも軽々しく降伏・投降をしてはならず、決死の覚悟で米兵に攻撃を加えて、一人でも多く殺したり道連れにできれば名誉なこと(捕虜になるくらいなら潔く自害せよ)という教育が為されてもいた。
日本が先に原爆を開発して米本土に爆撃機を飛ばせる制海権を確保していれば、米国に対して使用したこともまた確実だっただろう。広島・長崎への原爆投下は当時の受け止め方としては、『これだけの圧倒的破壊力を持つ新兵器を所有するアメリカに勝てるはずがない・こんな爆弾を続けて何発も落とされたら日本全土(日本民族)が破滅してしまう』というものであり、総力戦の継続困難(国民の戦意喪失)によって幾ら徹底抗戦を掲げてきた政府でも降伏せざるを得ないだろうという見通しにつながっていた。
国家の兵力と兵器、物資、予算に『戦争継続能力』がないことが明らかになっても、大日本帝国は『国民の兵力・生命』を太平洋の島嶼部・中国大陸・東南アジア・沖縄で湯水のように注ぎ込み続け(戦略的意義のない戦死者・餓死者の山を築き)、ジャングル・孤島・大陸において地獄のような飢餓と感染症の苦しみの中で多くの日本人は死に追い込まれた。
日本が天皇(現人神)のいない大統領制国家(国民の代表者)であれば、『国家(政府)と国民の信頼関係』は、原爆投下よりももっと早い段階で瓦解していた可能性があるが、『天皇を君主・家長とする擬似的家族としての日本(国体)の共同幻想』が、戦争の正義と必要、天皇(国体)の恩義と普遍性を支えていた。
天皇は『終戦の聖断・講話』と『戦争の正義・継続』の両面において矛盾する権威的な役割を果たした存在である。GHQは日本の伝統的権威や擬似的家長であった『天皇の戦争責任』を不問にして、昭和天皇とマッカーサーの親密さをアピールすること(天皇がアメリカに敵対していないことを分かりやすく示すこと)で、戦前の日本人が忠義を尽くしていた国体(天皇中心の国家観)に手をつけないアメリカに対する抵抗闘争やゲリラ攻撃を上手く抑止したとも言える。
アメリカの原爆投下は、なぜ日本人の怨恨・屈辱を長引かせなかったのかという表題に戻ると、戦争指導者が言っていた『この戦争に負ければ日本は政治的・経済的に破綻し、日本人はアメリカ人から殺戮・虐待・強姦・奴隷化の恐怖と屈辱を与えられ、生活はもっと苦しく貧しくなる』という玉砕覚悟の総力戦を必要とする根拠が、『敗戦後の占領統治及び日米関係』の中で虚構だと示されてしまったことがある。
占領統治したアメリカ主導のGHQは、日本人を飢餓・貧困と奴隷的境遇に追いやるどころか、食糧配給や民生の支援、インフラの復旧に協力してくれただけではなく、大日本帝国時代の日本人による政府・軍部以上に、『一般庶民の自由・権利』を保証するような立憲主義や制度設計を立案している。
日本人だけではどうやっても変えることができなかった戦時体制や同調圧力、身分意識(権力者・上官に対する一般庶民の無力)の空気が戦時中にはあったが、アメリカが『権力上層部(軍国主義者・全体主義者・右翼思想家)』を力づくで追い出すことで、国家や全体のための犠牲を強制する空気も一挙に薄らいでいった。
敗戦のショックや屈辱はあったが、米国の占領統治は『戦前の国家権力・ムラ社会から雁字搦めにされていた強制・不自由からの解放』の契機にもなり、いったん『自由の果実を齧った人』は、容易には権力や他者から監視・規律される不自由な人生には戻ろうとはしないものである。
今よりも豊かになるために、人間らしい生活ができるために、家族や国民の命と権利を守るために(戦争に敗れて虐殺されないように)、日本人は自分自身の生命も自由もかなぐり捨てて、天皇中心の国体(家族的共同体)の元に結集してアメリカとの総力戦を戦っていたはずなのに、戦争に敗れてかえって豊かさと自由と平和が『鬼畜であるべき米国』から流れ込んでくるようなそれまでの常識・信念が瓦解する感覚である。
これらの急激な変化は、敗戦した日本人に奇妙というか矛盾した感覚(価値観転倒のカルチャーショック)を抱かせるに十分だったように思えるが、そこに『米ソ冷戦体制(自由主義圏の防波堤としての日本)・9条と日米安保条約(日本人が死なない専守防衛の安保体制)・人口ボーナスと高度経済成長(米国に比肩するほどの経済大国化)』などの恩恵が二重三重に重なることで、国民個人レベルでの『戦争に敗れたことの不利益・アメリカの味方になったことの不自由』を殆ど見えないものにした。
更に、日本や日本人の価値観・文化教養・娯楽・ファッション・食事などが欧米化したこともあり、『西側・自由主義圏の一員としての日本』という新たなアイデンティティが敗戦の劣等感を殆ど持たずに再確立された流れがある。
戦前と戦後の日本を生きてきた日本人の多くが、戦前の日本のような体制や人生、強制にはもう戻りたくない(過去にも楽しい思い出や良かった面はあるが、現在の自由で豊かな時代からもう一度あの時代には戻れない)と思ってきたことも、『戦後日本への転換点』を生んだアメリカに反米感情が芽生えにくかった一因ではあるだろう。
戦争のトラウマ・被害の大きさと戦後の自由化・経済発展(生活改善)によって、日本人の憎悪や怨恨の連鎖はいったん断ち切られたが、1990年代までの『戦後日本の右肩上がり(自由・幸福・豊かさの持続的上昇)の時代』は終焉を迎え、『戦前の貧苦や不自由・戦争の恐ろしさ・権力や軍の強制』を実体験として知る人たちも多くが鬼籍に入り始め、日本人の価値観や政治感覚も緩やかな変化の兆しを見せ始めている。
後進国として余裕を持って接することができていた中国・韓国が経済的・軍事的な自己主張を強めてきたこと、経済成長(物質的豊かさ)による国家意識の充足が難しくなり政治・軍事分野での影響力に関心を持つ国民が増えてきたこと、米軍を金で動かす用心棒のように見なせていた日米同盟の前提が変化してきたこと、『個人単位の人生の幸福・アイデンティティ・グローバリズム』に限界を感じる人が『国家・民族単位の共同感覚や歴史認識』で自己確認を図る新たなナショナリズムが出てきたことなど、『原爆の犯罪性を糾弾しなかった戦後日本の前提条件(敗戦を屈辱・絶望として受け取らずに済んだ自由と豊かさの好条件の連続性)』の多くがオセロのようにひっくり返りそうな不安もある。