『余計な一言』、人を怒らせる・人から嫌われるコミュニケーション

“過剰な自己顕示・自慢”と“攻撃的な他者否定・批判”というのは、一般に人から嫌われるコミュニケーションの典型だが、特に『話している相手と自分との直接的な比較(自分を上の立場に置いた比較)』に基づく自慢・批判・説教・ダメだしの類は、まず人間関係を疎遠にさせるか険悪にさせるだろう。

自己顕示や自慢のすべてが悪いわけではなく、『相手の状況・気分・価値観を斟酌した上での自己顕示』や『相手のメリットにもなる嫌味のない自慢』であれば問題はないし、上手くいっている状況が拮抗した者同士の自慢は切磋琢磨の動因になることもある。

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攻撃的な他者否定や批判というのも、『相手を直接に否定・侮辱・ダメだしするような言動』は怒りや嫌悪を買うことになりやすいが、『お互いの価値観と照らして許せないタイプの相手(共通の敵)の否定・お互いの利害や人格、感情にあまり関係しない第三者(著名人・公人など)の批判』であれば、毒のあるやり取り、ストレス解消的な攻撃性の発露も問題ないだろう。

ある程度親しい間柄であれば、相手の嫌がるような内容、受け付けない価値観や人物、相手が聞きたくないであろう話などは概ね推測できるだろうから、『自分が相手のために援助・協力する覚悟や準備がある場合の苦言・説得』を除いては、相手の人間性や生き方、現状などを直接批判(否定)するような発言は控えたほうが良いだろう。

自分の優位性・優秀さや人生の成功・充実を認めさせようとしたり、相手の気分・感情を意図的に害そうとしたり(自分との優劣を間接的に示唆したり)、相手を思い通り変えたり動かしたりしようとする時に、そのコミュニケーションは人間関係を悪化させる影響を及ぼしやすくなるが、『競争的な優劣・他者の操作や制圧・自己顕示』が好きな人はそれを生きがいにしてる面もあるので改善は難しい。

『だって・でも・しかし』や『自分本位な話題の切り替え』というのは、相手の話の腰を折る(自分の話したいことしか話さない)、相手の価値観や意思を軽視するといった意味で嫌われやすい。基本的には議論・討論をしているのでなければ内心で反論・拒絶があっても、『相手の意見・助言・価値観』はその場ではストレートに解釈しておいたほうが良い。

何でもかんでも反論したり不満を述べたりすると『相手の言いたいこと』が途中で阻害されてしまい、話そのものが続きにくくなるし、『この人は何を言っても自分に反対するし、前向きな態度で話題に乗ってこない(話題を広げたり深めたりしようとしない)』となると、それ以上話そうとする意欲が無くなってしまいやすい。

自分に注目が集まっていないと嫌、他の人や興味のない話題にみんなが関心を向けると面白くない(何とか自分に注意を向け変えようとする)という自己愛的・演技的な人は、最終的には自分の要求や承認欲求を満たしくれる取り巻きのような人たちとでないと上手く付き合えないかもしれない。

自己顕示や自慢とは反対の『自己嫌悪・不幸や不健康の喧伝』というのも、それが行き過ぎてしまえば一般的に敬遠されやすいコミュニケーションであり、周囲の人を陰鬱な気分やネガティブなモチベーションに巻き込んでしまう副作用も生じやすい。

たまにストレス発散で愚痴や不平不満、怨嗟(恨みつらみ)をいうくらいなら、お互い様にもなるかもしれないが、いつも『人生が面白くない・自分には不幸なことしかない・いつも健康状態が悪い・どうせ自分なんかダメだ・あいつのせいで全てが台無しだ』というネガティブで暗鬱な話題しかなければ、敢えてその人と積極的に話して関わっていこうとは思いづらくなる。

『飲み会に行けたら行くという人・予定日の直前までどうするか分からないという人』はそれだけで嫌われるとは思わないが、『はっきりした返事をしない事』は『相手に余計な判断や準備の心理的・時間的コスト』を掛けてしまって迷惑になりやすい。

何回も曖昧な返事を繰り返した上で、更に一回も参加しないとなると、ただそれから誘われなくなるということになりやすいだけだが、『行けるかどうか分からないという対応を毎回する人(結論としてはまず来ない人)』の多くは、それほど積極的かつ親密にその集まりに参加したくはないという本音もあるだろう。

自分がその集団・相手を嫌っているとか無関心だとかいう風に思われたくないために、誘われた時にすぐにノーとは言えないのだが、『本当は行きたかったけど直前の仕事・用事で行けなくなったという理由』を相手に受け容れて欲しいという心理があり、とりあえずそこまで深い付き合いはしたくないが自分を嫌わないでくれという姿勢だと解釈しておけば良いかもしれない。

同じような嫌われたくないが深く関わりたいわけでもない行動パターンとしては、『勢い良く食事・飲みに向こうから誘いかけては来るが、具体的な日程を詰める段になるとなぜか行けなくなる人』というのも少なからずいて、『好意・友好・親密さの意図をとりあえず示したということ』でその人の目的は達成されてしまったという見方ができる。