北海道南幌町で発生した女子高生による母・祖母の殺害事件:しつけと虐待、家族関係の風通し

しつけと称する虐待(暴力的体罰・家からの締出しや隔離・恐怖を伴う精神的萎縮)の問題はあるが、暴行・殺害に発展する前に『家族関係の悪化・負の感情の鬱積・会話不能』の兆候は必ず出てくる。

<北海道祖母と母殺害>高2女子「しつけ厳しく逃れたく…」

親の子供に対する威厳と恐怖は異なる。過度の暴力や罰則によって子供を恐怖させたり激怒させたり従属させたりする状況は『親が子に慕われている・子が親の注意に納得している・親子で話し合いができる』わけではなく将来の精神疾患・人格障害・復讐(犯罪行為)・絶縁などの潜在要因を子供時代に積み重ねているだけである。

『親が好かれているか嫌われているか』も親子関係の質に関わるが、しつけの必要性を強調する人は『嫌われるくらい(近づきにくい関係)が良い』と考え、信頼関係を強調する人は『好かれるほう(仲良く語れる関係)が良い』と考える傾向がある。しつけ重視は舐められるのを恐れ、信頼重視は対話不能を恐れる。

だが、『殺されるほど嫌われて憎まれる・成長すれば親子が絶縁する』のも『バカにされるほど甘く見られる・成長すれば親が利用される』のも極端で間違った子育てになるだろう。

しつけをするにしても『子供の安全・将来のため』でなければならず、その背後に『親の都合・見栄・支配欲・コンプレックス』が透けて、愛情や親しみがなければ、しつけが子供の人生・人格・価値観にとって好ましい影響を与える事はまずない。

しつけが虐待になってしまう親の特徴は、しつけを『動物の条件反射的な調教』のように捉えている所であり、大声で威嚇したり殴ったりした時に子供が萎縮し表面的に従順になれば、しつけが成立していると勘違いする。

暴力・威嚇による従属は『表面的な良い子(親の思い通りに動く子)』を一時的に作る効果はあるが、『内面の怒り・恨み・不満』を鬱積させて、子供は本心では納得していないので『陰で悪いことをする・弱肉強食的な価値観を持って弱者に当たる・力関係を逆転する暴力で復讐しようとする』といった反動を生みやすい。

ニュースの事件では女子高生は『門限が厳しすぎること』に不満や恐怖を抱いていたようだが、『走って帰らなければ間に合わない時間設定・高校2年の学校外の友達関係や自由な買い物等が皆無になるような門限』について親や祖母と話し合って変えていくような家族関係が無く、極度の行動監視・時間制限があったのかもしれない。

自宅・家族が『安らげてくつろげる場所・相手』として機能していないのも問題だが、『自分が子(孫)をどこまで追い詰めているか・子(孫)の年齢相応の活動範囲や言い分を認めているか・お互いの思いを話し合える関係があるか・笑顔や会話、楽しみのない家庭になってないか』等を折に触れて自省する事が必要だったかもしれない。