子供の非行・学校不適応は、『家庭環境(親子関係の質)・社会格差・階層文化』とどのように関係しているのか?

1970~1990年代にも『ビーバップハイスクール』や『ろくでなしブルース』など不良漫画に影響されたヤンキーブーム(不良文化)はあったが、手加減なしの喧嘩で大怪我をさせたり犯罪を辞さない不良グループを組織したり、教師に本気で暴行を加えたり、暴走族(暴力団の予備軍)に参加したりする生徒は、多かれ少なかれ家庭環境(親子関係)に何らかの問題を抱えるか強い不満を持っていたように思われる。

日本全体が貧しさから突き抜けようとした高度経済成長期の1970年代にまで遡ると、『貧困・社会階層の明確な格差(中学卒業後の進路の悲観・意欲低下による授業についていけない学力低迷)』が暴力的な衝動の根源になっていることも多かったのではないかと思うが、1980年代以降はマスメディアや漫画・コミック・先輩との関係などに影響された『ファッションやスタイルから入る不良文化』が主軸だっただろう。

子供の問題行動(学校不適応)や暴力的傾向に影響を与える家庭環境(親子関係)の要因としては、大きく以下に分類できる。

1.親自身が反社会的な価値観や学校否定(勉強は無意味・教師はみんなダメ)の考え方を持っていたり、暴力・非行に対してそれを認める親和的な生活態度を持っているようなケース。

親世代から子世代への『反社会性・学校や教師の否定・暴力性』が伝達されていて、『学校にはいかなくても良い・勉強はしなくても良い・気に入らない奴は脅して痛めつけろ・仕事は何でもいい』といった価値観を学んでいく。

2.親が『自分が認める学力・進路・生活態度』などを教条的に事細かく決めていて、『親の思い通りの成績・生き方・進路選択』ができないのであれば子供には価値がない(勉強・進路などのステータス性以外の子供の人間性・楽しみ・人間関係・話題などには無関心)というような査定的な態度で一貫しているようなケース。
親が子供を所有物や自慢のネタのような形で扱い、子供が親の期待に応えているうちはその存在価値を認めて褒めたり欲しいものを買い与えるが、子供が親の求める学力や生き方、考え方から逸れると子供に無関心になったり切り捨てるような態度を示すことで、子供が反動的に『親の求める失敗・逸脱のない生き方とは正反対の生き方』をわざとするようになる。

3.親が子供の学校生活や友達関係、興味関心に対してほとんど『無関心・無干渉』であり、まだ未成年であるにも関わらず『親は親・子は子の境界線』をきっちりと引いて、親がまるで子供がいないかのような自由気ままな生活・交遊をして『子供のネグレクト(情緒的な育児放棄)』に陥っているケース。

親は子供の生活に必要なお金は出して、自由にやりたいことをやらせていると思っているが、早い段階から子供の学校生活や気持ち(悩み)に対して無関心な態度でいるため、子供が『自分は親にとって必要ではない存在』という自覚を強めていき、親の興味関心(心配・愛情・悪事の制止)を求める形で段階的に過激な非行・暴力行為へと逸脱していく。

4.親が持つ社会資本(知識や情報・社会的な興味の広さ・学習に親和的なライフスタイル・人的コネクション)が極端に少なく経済的にも余裕がないため、子供の学習・教養や進路選択に対して『効果的なロールモデル』の提示ができなかったり、『子供の希望する進路を後押しする経済的・情報的な支援』ができなかったりするケース。

所得・職業・教養(社会を見渡す情報量)の格差に裏付けられた家庭の階級化のマイナス影響がでてくるが、現代では特に『学力競争による社会階層の流動化(シャッフル)』がかつてよりも機能しにくくなっていて、勉強の効用を疑う親が増えた。親の学歴・所得(職業)・財産などが子供世代の将来格差に影響する割合が増えている。そのため、義務教育の早い段階から『子供の学力・進学をベースにした進路選択』から下りてしまう親世代が増加し、国立大学の親世代の平均所得・職業的威信は一般よりも高くなるなど統計的偏差が出てきた。

現代の学校における『教師に対する校内暴力』『生徒に対するいじめや虐待』『学級崩壊の扇動や授業ボイコット(授業からの離脱・不登校・反社会的な集団化)』には、世代間の教育格差や少ない社会資本の連鎖が影響している可能性があるが、これは『上昇願望・学習意欲を持つ中流階層の再生産』が“少子化・所得減少・学力の効用の低下(一般大卒者の就職以後の人生・経済生活の幸福度)・将来の悲観”などによって難しくなってきている事の現れとも受け取れる。

格差社会や階層分化といったキーワードで語られることも多いが、親の社会資本やロールモデル(価値観伝達)といった要因だけではなく、所得減少や仕事面の繁忙・ストレスなどによって『子供を全面的に教育・ケア・方向修正するような家庭(親)の余力』が落ちやすい背景もあるだろう。

親の自己肯定感の低さ(人生・仕事の投げやりな態度)が子の自己肯定感の低さと連動してしまうと、『心理的・経済的な支えや自分への共感的な関心を持つ人がないと感じた子供』は自分が勉強する意味ややり甲斐を見失って、どうせ自分なんかが頑張ってもダメだから初めから頑張らないほうがいいという自暴自棄な心理に落ち込みやすくなり、『将来の悲観・友達への嫉妬・自己否定(親の嫌悪)』などから暴力や非行に走りやすくなる。

大阪市教委が来春から、在籍校とは別の施設に特別教室『個別指導教室(仮称)』を設置するということだが、これも社会の階層化の縮図を学校の生徒間に持ち込むようなもので、『中流階層の縮小再生産』と『自分はダメな人間だというスティグマ(社会的烙印)を持った生徒の隔離・逸脱』を進める施策なのだが、『一般生徒の学習権の保護』という観点では(どうやっても改善の目処が立たず授業や平穏な学校生活を妨害・成立不能にするような生徒に限っては)有効な側面を否定しづらい。

家庭の格差や生徒の意欲・能力の違いを前提としたアメリカ型の教育政策に接近することで、義務教育段階からの間接的な生徒の篩い分けや囲い込みが進む恐れがある。

『勉強すればより良い人生への道が開ける(経済的にも安定して順調なライフコースが展開する)という近代学校教育の前提』を信じられない親の世代が増えていて、学校教育や教師の価値を頭から否定する人の割合が増えていること、更に『子供に平均程度の教育を受けさせられる自信がない教養・常識などの社会資本を持った層で特に少子化(子を持たないか一人だけの選択)が増える傾向』が見られることは、将来の学校教育、特にみんなが一律に受ける権利を持つ公教育の有効性に問題を生じさせる懸念もある。

子供の義務教育への適応や情緒・学習意欲の安定といったものが難しいケースや家庭環境に対して、学校・教師・行政・周囲がどのような対応ができるのか、現状では決定的な方策はないというか、親世代が『自分の子供の学校生活・学習態度・職業意識・進路の希望』などに興味関心を持って支援する態度を持たなければ改善のきっかけがつかみにくいだろう。

だが、その親世代に価値観や情緒・生活態度、生き方の面で大きな一般常識とのズレ(反社会性・投げやり・無規範)がある時には、そこまで家庭や親の世界観、子への親の影響力に踏み込んだ干渉ができるとは思いにくい、そうなると子供自身が自分の人生や勉強、進路、友達関係を振り返るような自己洞察や良い人との出会いのきっかけをつかめるかどうかが鍵になるとしか言えないのかもしれない。