年金財政の本格的な窮乏が明らかになってくるのは、団塊世代が全て後期高齢者(75歳以上)になる2025年からで、この『2025年問題』を現行の社会保障制度のままで乗り切れるかどうかは、その時の日本経済の成長率と税収によるだろう。
年金 受給開始年齢が65歳から70歳に引き上げなら1000万円減に
世界史上でも類例のないスピードで少子高齢化が進む日本は、『社会保障制度の実験場』という目線で見られることもあるが、今生まれたばかりの赤ちゃんは社会保障の負担対給付が5000万円以上のマイナスになることがほぼ確定しており、公的年金と公的健康保険は『高齢者を支える賦課方式の実質的な税』と受け止めるしかない現実がある。
国民健康保険料は文書の中では『国民健康保険税』と記載されていることがあるように、年金も健保も実質的には本人が払うか払わないかを任意に決める『保険料』ではなく、国民(地域住民)の義務として収入額に応じて支払わなければならない『税』としての性格を強く持つ。
故に、将来貰えないのであれば保険料を支払わないという選択肢が原則的にないし、数十年の老後資金を自力で貯蓄できる庶民は殆どいないので、相当に給付額が少なくなっても給付開始が遅くなっても『年金廃止』の選択を支給開始が近づいた当事者がすることは有り得ないと言って良い。
80歳からの給付開始なら廃止もあり得るが、70歳からの給付開始ならまだ『この先何歳まで生きるかわからないという不安』によって、終身にわたって死ぬまで支給される年金(民間の金融商品では国民年金基金など公的な基金を除いて死ぬまで支払われるタイプは少ない)の魅力は強いからである。
日本の高齢者の人口比率が高い状況では、民主主義的な意思決定によって『年金廃止・年金制度の根本的改革』を実行することは不可能である、なぜなら今受け取っている層と後5年程度で給付が開始される層(今まで長期間にわたって納めてゴールが見え始めた層)はまずそういったラディカルな年金改革には賛同しないからである。
高齢者を現役層が支える賦課方式の公的年金は『若年層の人口比率が高い(女性特殊出産率が高い)途上国型の人口動態』にしか対応できない制度であることは古くから知られており、先進国の殆どが年金財政で行き詰まりに近づいている。
そのため、『年金給付額の減額・年金支給開始年齢の引き上げ』によってアドホックな制度の破綻回避をしているのが現状だが、日本は団塊世代が生まれた1950年から2025年までの間に高齢化率が約5%から30%にまで急上昇し、社会保障費も約1200億円から約135兆円にまで爆発的に増加する危機的状況である。
社会保障費が約75年間で、約1000倍以上にまで拡大した衝撃はやはり大きく、日本の税収が約40兆円に過ぎないことを考えれば、いかに社会保障というものがお金がかかるものなのかが実感できる。
それと反比例するかのように現役の労働者層は減少するし、日本経済にかつてほどの成長率がなくなり格差も開き続けているので、経済成長や税収の増加で『今よりも100兆円多い税収』を得て社会保障財政を自力で再建しようとするのはどう考えても無理筋で、社会保障費の大幅な抑制か増税は不可避となる。
公的年金制度の長期持続可能性はないが、当面は『税』と割り切った気持ちで納めるしかないし、『長生きし過ぎた場合の保険・年金給付』といった形に変質していく可能性が高いのだろう。国家としては後期高齢者にできるだけ社会保障費を使わない政策を打ちたいところだが、65歳以上の年代は投票率も高く今後も政治的影響力は強くなる一方なので、現行制度の延命を図りながら負担を現役層に押し付け給付を先送りする流れになりやすい。
安倍政権の社会保障制度改革の骨子は、公助(国の制度)から共助(家族・地域の相互扶助)・自立(自分・家族の所得と貯蓄と助け合い)へであったから、本音を言えば国ができるだけ社会保障の予算を使わずに、自分や家族だけで老後・病気などに何とか対処して欲しいという『棄民的な自己責任の自立思想・社会福祉や医療介護の市場化(新自由主義)』が根底にあるのだろう。
しかし、公的年金制度の持続性と信用が担保できなくなるということは、国家が国民の社会保障に責任を持たなくなるということでもあるから、国民一般の帰属感や愛国心もまた薄れやすくなるだろう。
表題に公的年金と愛国心を並べて書いたが、国家が国民の生活や老後に安心できる保障を与えるということと、『お国のために働いて良かった・国が国民の奉仕に確実に報いてくれるという信頼感』はかなり密接な関係を持っているようにも感じるからである。
亡くなった祖父は大東亜戦争のビルマ戦線に従軍した経験を持つ戦中派で、現地での戦闘・敗戦の混乱や上海経由の引き上げで随分つらい思いもしたようだが、天皇崇拝や国家主義といった少年期から刷り込まれた価値観は変わることがなく、老年期になってからも『一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以って天壌無窮の皇運を扶翼すべし』の教育勅語のような思いを時に語っていた。
それは大正期~昭和初期の国民教育や戦争の時代の影響とも言えるが、そういった愛国心を補強する要因の一つに、国家が徴兵して戦争で苦しんだ軍人に経済的に報いた『軍人恩給』もあり、祖父は戦地から引き上げてきて生活が苦しかった時代にビルマに派遣されていた証拠や当時の日記を集めて貰えた恩給を『国のために生命をかけて戦ったことを天皇陛下が認めてくださった証(恩賜)』のように解釈していたようだ。
わたし自身は、右翼的な思想や天皇中心の国家観(臣民意識)は持っていないが、祖父の世代では天皇を家長とする日本国民全体が構成する大家族制のような擬似家族的な運命共同体の国家観(家長が赤子の国民を保護するが、その代わりに国民は家長・国体に忠誠を尽くす)を持っている人はかなり多かったのではないかと思われる。
祖父は大正10年の生まれだったが、この世代より上の世代で戦争を経験して生き残った人は『恩給+公的年金』で納付したよりも何倍もの給付を貰えたが、若い頃には戦争の労苦(戦友の過半は死亡)と貧窮・飢えの苦しみを味わっていて、こういった老後の納めた以上に返ってきた福祉的給付に対して『国のための長い戦争・労働の奉仕が報われた』という感謝めいた感覚を持っている人は少なくない。
こういった愛国者であっても、国が一切恩給や遺族年金(戦死者の親に対する一時金含む)を支払わなかったり公的年金を支払わなかったりすれば、『国家に裏切られたという思い』を強くした可能性がある。
現在の公的年金制度は『初めから今よりも極端に悪い条件になることが自明であるところ』から始まるしかないので、(自分の納付に報いてくれる)国家を信用するとか感謝するとかいう次元ではなく、『自分が給付される時にどこまで条件が悪くなっているのか(少しでも給付開始年齢や給付額がマシであってほしい)』という不安を押し付けられたロシアンルーレットのようになっている。