SNSで他人の幸福や成功を喜べるかどうかは、相手との関係性や自分の心理状態・境遇(余裕)にも拠るが、『潜在的なライバル視』『楽しそうな相手の世界からの疎外感(自分との無関係化)』といったものも影響する。
子ども・孫の幸せそうな姿や写真を見るのが嫌な親(祖父母)は殆どいないように、『相手との関係性』が近しくて自分も当事者として何らかの形で参加していると思える時、人は『相手の幸福・成功』をむしろ好む。友達のSNSの写真等にイラつく時には『自分とは関係のない場や相手で盛り上がっている疎外感』が関係しやすい。
友達との関係性が近しく、自分がその友達の人生・感情にコミットしている感覚があるか、もしくはどうでもいいような関係の相手なら、『SNSの投稿・写真』にネガティブな感情は抱かない。自慢を見せつけられているような不快感は『相手の人間性・競争心への不信感』や『相手の楽しさとつながってない疎外感』が影響する。
公共空間や生活領域の騒音の不快感とも関係するが『自分が輪に加わって騒いでいる時』には人はかなり大声で騒いでいても不快に感じず周囲への配慮も弱くなる。『自分の友人知人が騒いでいると分かっている時』にも不快感は弱いが『知らない相手・集団が自分の近くで騒ぐ時』には実際以上にうるさく不快に感じる傾向がある。
SNS上のまあまあ親しい友人関係においても、同様の不快感・反発心のメカニズムが働くのかも。友人の恋愛・結婚・成功などの投稿に対し、『自分が輪に加わっている感覚=相手の人生や感情に共感的にコミットできる感覚』があれば素直に祝福できるが、『どこか自分が輪から外れた部外者の感覚』があれば反発心が生じる。
反対に『自分を幸せに見られたい承認欲求』も実像と虚像の分離を進めるところがある。『幸せそうに見える写真・動画』が『その人の実際の生活・人生の全体や細部』ではない事もまた自明である。人生の『良い部分だけ』を見てもらいたい心情もあるが、『見られる事』で日々の大変さが和らぐのもSNSの利点ではあると思う。
世界に恋人(配偶者)と二人だけしかいなければ、恋愛や結婚のロマンス的な意義は無くなるわけで、文明社会における異性関係の醍醐味(ロマンティックラブの陶酔)は『周囲の観衆的な他者の目線』もある程度は織り込んだものと言える。数人しかいない無人島では恋愛も盛り上がらないし、誰が誰と結びつくかの関心も弱まる。