討幕の大義名分として『大政奉還』が持ち出され、天皇主権に回帰する『王政復古』によって、近代日本は記紀の日本神話を史実と見なし、天皇を“現人神”とする『神の国』として国民に教育されることになった。
天皇は高天原の神(皇祖の天照大神・天孫降臨のニニギノミコト)の子孫であるという神話によって、日本の永続的な主権者としての歴史的資格を持つとされ、ヤマト王権(近畿政権)の勃興や律令制の古代王朝から歴史を連続的かつ道義的(天皇に忠義であったか否か)に記述する『日本の皇国史観』が広められた。
『太平記』の楠公の七生報国の忠誠心が教えられ、後醍醐帝の建武新政を妨害した足利尊氏は歴史的な大悪人とされ、七度戦場に敗れて屍を晒すとも、七度生まれ変わって再び天皇に粉骨砕身の忠義を尽くすという苛烈な滅私奉公の精神が讃えられた。
近代天皇制における天皇は、西欧のキリスト教を模範とする『日本的な神概念』を目指すと同時に、日本という巨大な家あるいは日本人という大家族を指導して保護するより身近な『家長と赤子の概念』によって認識された。
敗戦までの天皇は国民を統治して軍隊を統帥する権力者であると同時に、国民を我が子のように見なして慈愛を注ぎ、『皇国の一員』としての名誉・尊厳を与える家父長的な権威者(日本神聖化の権威の源泉)としての側面も持っていた。
大日本帝国がアジア進出にあたって掲げた『八紘一宇(世界を一つの屋根の下に覆う)』のスローガンにも現れているように、大日本帝国とは天皇を擬似的な家父長とする巨大な家の拡大運動のプロセスでもあり、運命共同体の家と自分に付与された役割(天皇への忠誠=国防義務)が国民の存在意義をがっちりと抱え込む歴史的・人為的な構造体であった。
私の祖父はビルマ戦線に一兵卒として従軍した戦中派で、例に漏れず『天皇陛下のためならば何処へでも』の天皇崇拝の観念を戦後も持ち続けたが、祖父にとっての天皇は大日本帝国憲法に定められた神聖不可侵の国家元首という面を持ちつつも、『日本国という家族的共同体の幻想を背後で支える厳父・慈父の家長のイデア』というものに近かったように感じる。
天皇の精神的求心力がなければ国民は相互につながりのないバラバラの個人にならざるを得ない、自分と家族の利害以外の公的なことへの忠義・関心といったものを持つ動機づけの根底が脅かされるというような戦後社会への懸念もあったかとは思うが、端的には日本人は個人単位の公共圏への参与意識が支える『近代市民社会』の形成には挫折したように見える。
天皇制の本質は、国民全般に対する『一君万民(天皇以外は皆平等)を正当化する普遍的権威・価値の定立』であると同時に、『地位的・権威的な上位者が付与する国民の存在意義(天皇の国体を支える国民すべてに生まれてきた価値がある)』であるから、共産主義以外の戦前の反体制の軍事クーデターの多くは『君側の奸臣を除いて、天皇陛下直々の御意志を仰ぐ(普遍価値の源泉たる天皇さえ同意してくれれば後の反対者はどのような地位にあろうともすべて粛清できる)』の論理で決行された。
大元帥として軍を統率する権威の役割をした昭和天皇は『神格化された厳父(命令する者)』の顔を強く見せた。一方、父昭和天皇の敗戦経験(戦争責任のGHQによる赦免)を踏まえ、国民統合の象徴として平和と安寧、国際協調を祈り続ける今上天皇は『聖人化された慈父(思いやりいたわる者)』としての顔しか見せることはない。
天皇制の原点は、近畿に有力な政治集合体のヤマト王権を確立した『政治的・軍事的な指導者』であり、そこに『記紀の日本神話による権力の正当化』が加わった。平安末期・鎌倉時代から、天皇(政治権威)と将軍(軍事の実力)の二重権力構造が生まれてきて、徳川将軍家の支配体制が磐石となった江戸時代には、天皇はしばし歴史の表舞台からは姿を隠し(徳川家との血縁関係を強めてはいたが)、京都で文化的・教養的な静かな時間をただ過ごしていた。
戦後の今上天皇は、武威の誇示や支配権力からは遠い存在であり、外形的には明治維新以前の教養趣味的・女性ジェンダー的な武力・暴力(流血)を嫌う公家文化へ逆行している観もある。
人生の長きにわたってマスメディアとテレビ放送される行事に取り巻かれている今上天皇は、歴史上かつてないほどに自らの態度・発言・行動を完璧に制御し続ける、半ば『聖人化した天皇』である。
明治天皇・大正天皇・昭和天皇も個人としての欲望や都合は殆ど捨てて、側近と時代が求めてきた『神格化した天皇』の役割を果たしたとも言えるが……今上天皇は天皇が国民の上位に立つという『縦の権威構造』をできるだけ意識させないために最大限の配慮を払っており、一般国民をお見舞いしたり話しかけたりされる時の腰の低さと思いやりの示し方にしても、並々の政治家・官吏(特に内面では自分と一般国民は立場も権力も違うと思って慢心・蔑視しているような人たち)が及ぶものではない。
戦時中の昭和天皇はまだ若かったので『厳父・支配的な権威としての天皇の役割』を違和感なくこなしたが、81歳になられた今上天皇は『慈父・庇護的な良心としての天皇の役割』を毅然とした態度と歴史的使命を果たさなければならないとの責任感(国民への思い)によって精力的にこなしているものの、天皇も人間である以上はご自身の老いを超越することはやはりできない。
近代天皇制の問題点は、天皇の権威・影響の分裂とそれを担ぐ勢力(院政の状況)を抑止するための『上皇・法皇を廃止した終身制(いったん天皇に即位すれば死ぬまで引退できない)』であり、医療技術や衛生環境、栄養状態が進歩した現代においては『天皇の老後の人生のあり方』についても議論を深めておく必要がある。
歴史的には、天皇の地位は終身続くものではなく、一定の年齢で引退して子に譲り、上皇になったり出家して法皇になることが多かったが、明治期の廃仏毀釈運動などで天皇が仏教の法門に入って法皇になることができなくなった影響もある。
だが、現代で80歳になっても90歳になっても、生きている限りは天皇を引退できないというのは人道的にも能力的にも問題であり、70~80歳くらいの年齢で譲位による引退を選択できるように皇室典範の改正も検討すべきように思う。
客観的には生身の人間が、まったくと言って良いほどに私情や欲得、体調の悪さ(気分の乗らなさ)などを覗かせずに、『聖人化した国民の道徳的模範のような人生』をずっと生き続ける心労と努力、責任の重圧は並々のものではないと思うが、人生の大部分にわたって天皇の重責を果たした後には、譲位して上皇となり学問・趣味・交遊・旅・夫婦の時間(子供時代を除いては人生全般を通して殆どなかった自由な時間の使い方)などを楽しめるようにしても良いのではないだろうか。