死亡ひき逃げ事故を起こした人の大半はまず否認する。意図的に行った犯罪より、現実逃避の否認の欲求は強い。結果の重大性に対する『故意・殺意の欠如』と『法的・社会的な制裁,人生の暗転』による混乱もある。
加害者は60歳の高校教諭で、それなりに自分の人生や職業を踏み外さないように真面目に生きてきた人物だろうが、それが故に『なぜこんな時にこんな不幸が自分に襲いかかるのかという不条理の念』で、死んだ被害者には意識が向かいにくい。自己防衛は本能的なものだが、意図的な犯罪よりも落胆・理不尽さは大きいだろう。
飲酒運転や無謀運転など明らかな落ち度があるほうが、『自分自身の未必の故意による死亡事故』として現実を受け容れやすくなるが、自分としては普段と同じように注意して運転していたのにも関わらず死亡事故に至った場合には、自分が加害者となった現実を受け容れて法的・社会的な処遇に納得するまで時間がかかるだろう。
飲酒運転や無謀運転など明らかな落ち度があるほうが、『自分自身の未必の故意による死亡事故』として現実を受け容れやすくなるが、自分としては普段と同じように注意して運転していたのにも関わらず死亡事故に至った場合には、自分が加害者となった現実を受け容れて法的・社会的な処遇に納得するまで時間がかかるだろう。
それだけ、車の運転というのは、加害者・容疑者にもなることがある潜在的なリスクを抱えているものだという自覚が必要なのだが、なかなかそこまで真剣なリスクを考えて運転している人は少ないだろう。運転者にどのくらい落ち度や不注意があったかにもよるが、人生ががらり暗転してしまう恐れのある交通事故は気をつけたい。