石の上にも三年、キャリア数十年の職人技もあるが、『努力の方向性・持続期間・目的のレベル』を調整しながら努力するのが基本だろう。カネ・地位・仕事・異性・自由など何によって報われたいかによっても努力の方法・量・自分の適性は変わる。
注意すべきは、『自分の自己満足・能力向上のためだけの努力』ならば、他人がその努力を評価・賞賛しなければならない必然性や因果はないという事だ。相手があなたの事を人間的に好きだったり利害関係でもあれば評価してくれるかもしれないが、他人や社会は子の成長・夢を無条件に見守ってくれる親にまではならない。
努力が報われるか否かは、『結果としての利益・報酬・評価』に関係しているが、視点を変えれば、心理的な報酬に限っては『自分の努力や苦労の項目に対する他者からの共感』に依存している部分もあり、努力の報われ方は他者との人間関係ともつながる。
『自分のための努力』が『他人・社会のためのメリット(努力が他者の喜びや満足に転換する要因)』にならなければ、結果の報酬は必然にはならない。努力至上主義が時に人を不幸にするのは、『他人=努力して競争する敵・現実=ゼロサムゲーム』と見なし、自分・身内しかいない世界での競争型の努力一辺倒になるからだろう。
努力が少しでも損をしたくないという現在と未来の損得感情・保険だけに依拠している限り、周囲や社会は常に『私と競争して打ち負かそう(追い落とそう)としている敵』に映り、人生の価値判断の基準も『勝ち組・負け組』という無味乾燥な勝負ごと(他者と自己との利害切断)に陥り、努力して報われても落ち着く暇がない。