インドも男尊女卑・男権社会からの過渡期にあるが、『男性の社会的・性的な優位』を脅かす教育された自意識の強い女性(男性を評価する女性)の増加に対する恐怖が、集団レイプのような蛮行の根底にある。
女性に教育や職能を与えると、男性に従わなくなるから(男性優位の社会秩序が崩れるから)という理由で、『女性の教育機会・女性の高学歴化』を宗教的・社会的な悪と決めつけ、殺害・拉致のテロリズムを断行するナイジェリアのボコ・ハラムのようなテロ組織もある。日本でも男女平等に反対の保守主義の価値観は少なくない。
実際、『男性の暴力・戦争やテロ』を禁圧した男女同権化・平和主義化が進めば、先進国のように『女性原理』が次第に優位となり、過去と逆転して男性のほうが元気がなくなりやすい傾向(性的にも男性が選ばれる立場に)はある。それだけ男性的な力の源泉に、暴力・威圧・強制の要素が歴史的にあったという反証でもあるか。
女性・子供を暴力で脅して隷属させる、先進国から見て異常で粗暴なイスラム国の手法は、『野生の暴力的な男性原理』とでもいうべきもの。イスラム国は『反欧米・反近代的価値のテロ集団』だが、近代社会で尊重され守られてきた女性・子供の権利を蹂躙することで、欧米が主導してきた世界標準を暴力で愚弄して無効化を狙う。
イスラム国は『暴力否定・人権重視の女性原理』に傾きやすい欧米主導の近代化・資本主義化(消費文明化)を、歴史的必然のグローバルスタンダードと見なす事を拒絶する。インドやパキスタン等でも家父長が女性を所有・保護する男女の伝統ジェンダーを守るべき、男女平等化は無秩序だという復古主義の価値観は相当根強い。
インドやイスラム国等では『支配的・社会経済的な男性』と『従属的・家庭的な女性』という差別的な伝統ジェンダーを女性に教育を与えない事で守れるという考えがあるが、男尊女卑社会における男性の社会的地位・威信の下落が自暴自棄の性犯罪を誘発する構造がある。高学歴・先進国の女性を狙うのは供犠の象徴的意義もある。
だが戦争・防衛や肉体労働における男性の身体的優位が、倫理的・職能的に揺らがされる現代では、男性は自らの存在意義を示すため『暴力と対抗のリスク』を半ばマッチポンプで演出する強迫観念に苛む。戦争・テロ・犯罪・差別の脅威から女性を守るは男性の暴力の正当性になるが、その脅威自体が男性性に源を発す矛盾もある。
男性は財物・女性・名誉などを巡って競争する本性を完全に無くすことが難しく、近代化・消費文明化が進んでいなければその競争心理や独占欲が『暴力による対抗勢力の排除・男女の地位の区別の威圧的な明確化』につながりやすい。本能的な競争や独占が、人類の進歩や繁殖の原動力になった面もあるが、現代では弊害も増した。
前近代の慣習や宗教の影響が根強い伝統社会にとって、男女平等・人権思想を含む『広義の近代化・女性の教育』『秩序形成要因としての暴力の全禁止』が、既存の社会秩序や男性原理を乱して壊す『禁断の実』に見えることは想像に難くない。先進国でさえも、DV・虐待・体罰が『躾・教育』の名の元に正当化された歴史は長い。
大脳辺縁系が生み出す原始的本能は、『暴力によって他者を従わせる・威圧で他者の自由意思を挫く』という歴史的経験の積み重ねの影響を一定以上受けていると推測される。単純に殴られると痛い、激しい暴力で死ぬかもしれないという知覚・恐怖が、動物的次元の人類の秩序感覚・立場の優劣のトラウマやスティグマとしてある。
軍隊や安全保障の問題にまで拡大すれば、理性的・倫理的な水準や相互尊重の権利感覚を高めてきたと自惚れる先進国もまた、究極的には『暴力(軍事力)によって脅して何かを強制しようとする動物次元の衝動・本能』を制御しきれていない。進化論的な類人猿レベルの暴力による優位性確認(マウンティング)は至る所で継続中…。