餅を喉に詰まらせて死ぬば、餅を規制すべきか?:伝統食も否定されるゼロリスク欲求と古代から続く不老不死の理想

餅はこんにゃくゼリーよりも窒息死の原因になるのになぜ規制されないのかの声もあるが、こんにゃくゼリー含め『食べ方・推奨年齢の一定の注意喚起』があれば何を食べるかは自己責任の範疇であるべき。

餅つまらせ3人死亡、12人搬送 1・2日、東京都内

嚥下能力が未成熟な乳幼児に餅は食べさせないが、高齢者の場合は『伝統食の餅』を正月に食べるのが慣習化している(餅のない正月は想定しづらい)ので、『自分の嚥下能力の低下』を自覚・自粛して貰うのがなかなか難しい。去年まで食べられていたのだから、今年も食べられるはずという老化否定の正常化バイアスは強い。

高齢者は餅を喉につまらせるリスクが有意に高く、年間に数十人規模で死者も出ているという情報を周知しても、それでも自分は大丈夫だと思い、餅が好きだから食べたいという人に絶対に餅を食べてはいけないという権限は誰にもないだろう。餅以外の米・パン・肉だって咀嚼・嚥下能力が低下すれば、詰まらせて死ぬ人はいる。

生命至上主義の価値観を絶対視するならば、歯や顎の状態・咀嚼力・嚥下力を測定して、一定以下になれば『餅・こんにゃくゼリー・大きな固形食などの禁止』をしてゆくゆくは『きざみ食・流動食』など流し込む食べ物になっていくという話になるが、生命至上主義はQOLや個人の食生活の指向を全否定する乱暴さも併せ持つ。

人は『リスクゼロの社会環境』に近づいても、いつか自力で食べ物を咀嚼して呑み込む事ができなくなる時が来る。餅の規制など『食生活の保護的で法的な管理』は、人間の老化と死の『現実』を見たくない環境調整のアドホックな試みだが、『自然死』の消えた文明社会における『死因の虚しい擦り付け合い』にも見える。

高齢者が餅を喉に詰まらせて死んだら、製造者責任を法的に問える可能性があるのは法律的にはその通りだが、現代社会では80代以上の老衰で眠るように死んだケースでもない限り、『誰かのせい・何かのせいで死んだ(本当はもっと長生きできたはず)』という自然死否定の原因探求・責任追求が盛んに行われる傾向にある。

古代から人の権力者は、エジプトのクフ王や秦の始皇帝、ローマ帝国のネロなどはじめ『不老不死の理想』を思い、現代から見れば荒唐無稽な信仰・秘薬・仙術によって『老化・死』を免れようとした。現代は経済・労働・健康・人間関係等に大きな問題があれば自殺も多いが、順風満帆な人が老化・死を否定したい時代でもあるか。