裁判官の判例主義(前例踏襲)を市民感覚で修正することによる裁判員制度の趣旨と心理的負担

専門家の裁判官の判決は、正義感や社会常識(市民感覚)を交えない『判例主義』に過ぎるとして批判の矢面に立たされてきたが、その批判の多くは被害者救済の道が原理的に閉ざされた殺人罪などに対する『判決の甘さ』に寄せられていた。

<裁判員>「心に負担」ずっと 経験者7割超に「あった」

『過去の判例・量刑基準』と照らし合わせて、理不尽な殺人であっても『死刑判決』を容易には出さない半ば機械的な裁判官の判決は、『心理的負担の緩和(裁判官の個人的な裁量だけで量刑の重さを判断しているわけではない)』という副次的効果を生み出していた面もある。

被告の人生(生命)を大きく左右する判決を、十分な学習・訓練の機会のない法律の素人である裁判員が話し合いを通して決めるというプロセスはかなりのストレスや重圧感を伴うものになる。

人や法制度が人を裁くという裁判そのものに絶対的な基準・正義はないが、被告のその後の刑罰や人生に対して想像力・共感性が強い人ほど心理的重圧は大きくなり、『自分が下した判断・同意』が正しかったのかどうかについて悩むことも多くなる。

裁判員制度は、『形式的な判例主義・原則的な量刑判断』に陥りがちなプロの裁判官の判決を一般国民の常識感覚や正義感情で修正するメリットもあるが、本質的には民主主義政体における主権者である国民が『司法権力(法と証拠に依拠して重大犯罪者を裁く集合権力・強制力)』を部分的にであっても担っているというリアリティ(実感)を高めるための制度である。

裁判員の心理的負担を緩和するためにできることは、『事前の制度教育・裁判員裁判のシミュレーション・量刑判断についての個人的責任や罪悪感の免除』と『事後のメンタルケアやカウンセリングの機会の提供・守秘義務違反について悪意ある第三者への情報漏洩以外は処罰されない保障』、『裁判の重圧や残酷な証拠に耐え切れないと感じる人に対しては裁判員を辞退しやすくする制度設計』などが考えられる。

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