安倍首相が『ポツダム宣言』を読んでいないことが取り沙汰されているが、当時の日本が無条件降伏と日本軍解散に同意する旨を受諾した事実をなかったことにし、『連合国側の第二次世界大戦の理解』に過ぎないと第三者の立場から牽制するのは、日本国の連続的な歴史的信任に責任を持つべき最高権力者として不見識の謗りは免れないのではないかと思う。
『ポツダム宣言』を現在の段階から受諾する・しないの議論はナンセンスだが、ポツダム宣言は連合軍にも甚大な犠牲を生んだ総力戦を終結させるための最後通牒としては『日本国民の生命・権利・土地・財産』に対し大きな譲歩がなされた宣言としての側面も持つ。連合国は従前の戦勝国よりも人道的な戦後処理を意図している。
無条件降伏の突きつけが連合軍の横暴だったかは微妙だ。ポツダム宣言にあるように『合衆国・英帝国・中華民国の陸・海・空軍は日本軍の数倍の力を有し、日本の軍・国土に対し最後的打撃を加え得る態勢を整えていたから』だが、近代日本の占領地を放棄して軍が平常の生活に戻ればそれ以上の侵略支配をしないと明言している。
大東亜共栄圏・八紘一宇を掲げた大日本帝国の占領支配の方法は、天皇をアジア広域の国父・元首とするパターナリスティックなもので、見方によっては温情主義的ではあるが各地の自由主義・人権・民族自決は抑圧されがちだった。ナチスドイツと連合軍の米英の戦争・統治も、自国民の自由と権利、戦争の目的に違いがある。
ポツダム宣言以前にも、日本はこの宣言より有利な条件で降伏できる機会があったこと、ハルノートの前後で日米戦争を避けるか初期の段階で講和に持ち込むかの交渉の文脈があったことが、『昭和天皇独白録』における御前会議の記録から伺われるが、過去の支配地への固執と強硬な条件突き付けで戦況が国家滅亡寸前に至った。
日本が政府の意思で総力戦に参加していた以上、武力による強制と脅しで受諾したポツダム宣言は無効といっても、自国が負けたから『戦争の勝敗』は道義的に無意味と言っているだけ(勝っていれば連合国以上の条件を強いた可能性も高い)のダブルスタンダードだろう。連合国は日本国民の戦争責任赦免で指導者層を標的とした。
安倍首相の最大の問題は、ポツダム宣言がたった13条の短文の項目からなる『読もうと思えば10分もあれば読んで内容を理解できるもの』であるにも関わらず、『詳らかには読んでいない』などと本当に目にした事すらないような答弁をしたことだ。その場で検索しても、さっと目を通せば数分で宣言の趣旨は理解できるはず。