若者が恋愛しない理由についての記事の感想:『本能が壊れた動物』としての人間の恋愛離れ・未婚化・生殖戦略

進化的には恋愛の結果としての子作り・家族ではなく優れた子孫を確実に残しやすい生殖の為に恋愛・家族が発達したが、恋愛離れは『利己的遺伝子への自我・私意識の反逆』といった意味合いもあるような気がする……。

「若者が恋愛しない理由」が話題 原因は「お金」か、それとも他に「娯楽」があるから?

人間は性欲を含め『本能が壊れた動物』といわれる。それは利己的遺伝子が脳の内分泌系に仕込んだ本能は『セックスをしたい・魅力的な異性に近づきたい』までで、『子孫を残す本来の目的』までがっちりカバーできておらず、文化・慣習(婚姻)・共同体圧力の力を借りなければ遺伝子保存から逸脱しやすいからである。

猿人から新人へと進化した人類だが、大脳皮質の異常肥大は生物としての生存・生殖という自然の摂理の枠組みから外れる『精神と思想の遊び・個人の意識・文化の創造』を生んだ。生物の情報複製をメカニカルに統御する利己的遺伝子が、数百万年先の未来で起こる自意識と計算・避妊・技術・長寿・娯楽に想定外の影響を受けた。

人類は長らく宗教と家系(血縁主義)によって、子供を残すことの普遍的価値を後世に伝えてきたが、その前提になったのは王侯貴族・富豪であっても簡単に若死にする近代以前の『個人の余りにも短い人生と虚しさ』であった。自分の生きた証や死後も残る先祖(自分)の霊と祭祀の宗教感覚は人の生命の儚さを強く慰安していた。

近代では神が死に来世(あの世)が消滅し目に見えないものが迷信として退き、家・親・世間の強制も衰微した。マテリアルな世界観と資本主義の経済が広がって、個人の健康と寿命、楽しみが延長され、『子孫を残す自明・義務』が揺らぎ、『長寿・娯楽によるモラトリアム+リスク回避』が恋愛の誘引力・必然性を低下させた。

若者の恋愛離れから外れたが、近代では“家・親・宗教(先祖崇拝)”に代わり“恋愛”が男女結合の要因になったが『子孫・家族・生活という恋愛の先にあるもの』を意識し必要と思わない人が、恋愛の優先度を低下させるのは道理。相手が好きだからだけの恋愛が昔多かったかも疑問だが、恋愛も幸福追求の対象を無視できない。

逆に言えば、完全な自由恋愛市場で『相手が好きだからだけの理由』で相手を選ぶとしたら『好かれる異性の偏差』が生まれる。市場性だけでは『社会的同調圧力(直接間接の義務や劣等感)』がなければ恋愛・婚姻の完全配分は望めない。異性に求めるものが何かの混乱や情報氾濫で恋愛のコストとリスクが過大視されやすくなった。

若い世代の男性なら、学校や街中で外見・対話・雰囲気的に『ちょっといいと思う女性』はいるはずだが、平均的男女は恋愛のみでは女性優位の非対称性(女性側が許容範囲が狭い)があるので、一定の拒絶リスクと魅力提示の役割を引き受け誘う必要がある。異性を誘う欲望(同世代間の競合同調)と文化が減少傾向にあるのかも。

イケメン・金持ちなど分かりやすいメリットやそれを求める型の女性への怨嗟の声もあるが、これは『相手を魅了しやすい資源・自信・売りがあれば誘うのに』の裏返しでもあり、何か有利な担保・保証めいたものがないと動けない慎重さ・臆病さ、自己評価からずれた相手の高望みとも言える。リスクテイクを嫌う文化はどこかしら日本的だが……

男性でも女性でも『恋愛離れ・出会いがない』と常に言っている人の多くは、『自己評価以上の異性』しか恋愛対象にせず、相手にされないか空回りの恋に終わる。シニカルだが『お金のメリットを考えない人』ほど高望みの悪循環にはまる。20代前半くらいまでの恋愛はシビアにカネは求めないが外見や雰囲気は高望みしやすい。

人間の性的魅力(異性を惹きつける魅力)について、外見と中身を完全に分離できるかは微妙だが、若い時期は自分の客観的評価からずれた『外見・雰囲気・好みの高望み』で恋愛から離れ、一定以上の年齢では『仕事・金銭・生活力など実際的条件』のズレで結婚(安定した生活)を意識して恋愛から離れる層が多くなると言える。

他のつぶやきに『現代の女性は金銭的に強欲・おごらせてばかり』という不満もあるが、僕個人は今まで知り合った女性でそこまで金銭面・物欲面での欲望を強く出してくる人(高級品を買ってくれという人)は見たことがないが、それは恋愛ではなく(自分との魅力の差を利用された)キャバクラかプロに近い方の恋愛ビジネスでは…。

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