安倍政権の安保法案を巡る混乱と“立憲主義の軽視・存立危機事態のわかりにくさ”

安倍政権が立案した『安全保障関連法案』に対する反対デモが国会周辺で行われ、安倍政権の支持率がかつてと比べてかなり下がってきた。ギリシャの債務危機や中国の株価急落もあり、アベノミクス効果にもやや息切れが見えてきた。10月には消費税10%への増税も控えており、安倍政権に矢継ぎ早に向かい風が吹き続ける雲行きだ。

安保関連法案可決は国防・自衛隊強化・日米同盟に関心の強い安倍晋三首相の悲願であるが、日本以外の外国(同盟国)に対する攻撃を受けて日本が防護以上の反撃をする『集団的自衛権の行使+自衛隊活動領域の拡大』は、本来、憲法解釈変更の限界を超えているため、『改憲の手続き』を踏むことが筋である。

この安保関連法案の問題点は、『憲法違反の疑いが強いこと』や『国民にとっての必要性が分かりにくいこと(逆に仮想敵の増加・反米勢力の逆恨み等で自衛隊・国民のリスクが高まる恐れもあること)』もあるが、『アメリカからの要請+米国議会に対する日本国首相の公約』によって万事が推し進められようとしていることである。

法案が曖昧に定義する集団的自衛権は、実質的には『米国主導の世界秩序(中東・アフリカ経営の軍事コンセンサス)』を維持するための負担(戦闘要員・後方支援要員の戦死の負担も含む)を日本も応分に負うべきだというアメリカ側の要請を背後に持っているが、日本にとっては『中国警戒論』が米国の機嫌を損ねたくない理由にはなっている。

現実的には、武力で全面衝突する日中戦争は日米戦争と同程度には起こりにくいシナリオだが、安保関連法案に賛成する主張として、『尖閣諸島問題・中国の海洋権益拡張(南シナ海の南沙諸島の一方的な拠点建設等)』に対してアメリカがもっと強気に出てくれるのではないかという期待もある。

だが実際はこの法案が通過したとしても、米国は今までと同様、報道官が出てきて、『中国の力による現状変更は認められず、中国の強引な進出・領海侵犯には自粛を求める』というコメントを出す以上の制裁などには出ないだろう。

中国も外国人が実際に居住する島(あるいは外国の本土の周縁部)に実効支配・攻撃の威圧をかけるレベルの暴挙には出ないはずで、外国の侵略はしないという国際社会における最低限の遵法・信任は維持しておかないと、日米欧の巨大経済圏から利益をあげる経済活動そのものが不可能になり、中国の生産・消費の断絶で世界経済がカタストロフに陥る。

その中国の損失や中国人の経済生活悪化の不満を埋め合わせるほどの武力による領土侵略・財物略奪など有り得ないので、人民解放軍に対する共産党政権の統制も追いつかなくなり、中国政府は自然に崩壊して相当な混乱状態が続くだろう。

中国を仮想敵とする集団的自衛権は、尖閣諸島や海洋権益問題を対象として掲げて抑止力とするには『鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん』のようなものであり、米国が日本と一緒になって中国を本気で敵視した行動を取る可能性と必要性も乏しい(経済的・国債の財務的にも密接不可分な二国であり本気で米軍が中国軍とドンパチやることは考えにくい)。

集団的自衛権が実際に行使される、日本の自衛隊の応援が要請されるとしたら、舞台は欧米の軍隊が虐殺阻止・テロ抑止など人道上の名目で介入する中東・アフリカになる可能性のほうが高いのではないかと思う。

『危険な戦場から距離を置いた定義上の非戦闘地帯(定義上なので実際には後方支援要員でも戦死した外国人は大勢いるが)』で、日本の自衛隊は後方支援に分類される様々なオペレーションを行い、身近で友軍が攻撃を受ければ一緒に武器を取って反撃するという形態になるだろう。

安倍政権は法案提出の当初は、『イランのホルムズ海峡封鎖による石油輸入の断絶』が、中東の石油に文明的生活を支えられている日本人の生命・安全・幸福追求の基盤を覆す存立危機事態に当たるので機雷掃海のために自衛隊を派遣できると語っていたが、イランが核開発停止交渉で前向きな姿勢を示して石油輸出増強に力を入れることから、安倍首相の想定そのものに説得力が無くなってきた。

イランによるホルムズ海峡封鎖のリアリティが弱まってきたことから、次は『南シナ海における機雷攻撃』に対しても機雷掃海を中心とした集団的自衛権行使の可能性は否定できないとの見解を示し始めた。

中国さえ貿易のための重要な通行路として頻繁に行き来する南シナ海に、誰がそもそも機雷をバラまくのかその実行主体は不明だが、南シナ海に機雷がバラまかれても日本の存立危機事態と集団的自衛権行使の要件は満たすことが有り得るという判断である。

海峡部でもなく封鎖しようのない広大な海域である南シナ海の機雷さえ、日本の存立を根底から危うくすることがあるのだという容易には頷くことのできない論拠によって、『存立危機事態の定義の曖昧さ』が余計に目立つことになってしまったのではないか。

そもそも、国家や国民の存立が根底から脅かされる事態というのは、核ミサイルによる攻撃くらいしか想定できない気もするが、『存立危機事態というネーミング』はもはや国民を想像上のストーリーで『やらなければやられるぞ』と脅迫するような語感以上の具体的定義を持ちづらくなっている。

具体的に定義しようとすれば、日本の領土や国民生活の実際からも離れたペルシャ湾・南シナ海の機雷の話ばかりで……無人島の尖閣諸島は日本国民の生命・安全が根底から覆される存立危機事態にはならないので本来の賛成派の関心事からも遠ざかっている。

そもそも、大仰な存立危機事態という概念を振り回すばかりで、『日本人全体の存立が根底から脅かされる事態』と『特定の日本人の一人の存立が根底から脅かされる事態』の区別も曖昧である。

前者の日本人全体であるとすれば石油・輸入食品の完全な長期断絶と物理的な日本列島の長期包囲とか、数十発以上の核ミサイルの飛来(主要都市部での徹底的な生物・化学テロ攻撃)とかいう非現実的な状況しか該当しない。国家のリソース全部を費やす総力戦にでも突っ込んでいかない限り(現代ではありえないが)は、国家全体が根底から覆されることはそうそうあるはずがない。

あるはずがないから、首相をはじめ政府の法案担当者が、適切な納得のいく存立危機事態の例を示すことは極めて困難なのである。

存立危機事態の言葉遊びはともかく、集団的自衛権を核とする安保関連法案は、戦後日本の国際貢献の手段として『軍事的支援(外国軍と共に血も汗も流し得る支援)』を間接的・後方支援的なレベルであっても積極的に組み込んでいくという、戦後日本の外交方針の大転換(立憲主義・平和主義外交に対する軍事的国際協調と日米同盟の優位)を孕んだものであることは確かだろう。

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