現代から見れば『間違っていた戦争・回避可能な戦争』だった側面はあるが、その間違いの根源がどこにあったのかを突き詰めれば、『日本(諸外国)が自国のまっとうな経済活動で充足できるほど豊かではなかった・個人の生命の価値が低く人権が守られている国もなかった・国家権力が国民を道具(兵力)として活用するための教育や道徳が普及していた』という時代背景にある。
戦争あるいは軍事的野心や歴史的正当性(物語的正統性)といっても良いが、それらの価値が持ち上げられて称揚される時というのは、『国民が現在の生活に満足していない時・現在の政権に対する不満が高まっている時』である。
自分や自国に対する不平不満の原因が、『外部(仮想敵)』にあるとして教育・扇動されたり、『有事の国防危機(やらなければやられる)』がマッチポンプで誇大に伝えられることによって、『私(個人)の存在意義』と『国家の歴史的・物語的な正当性』が接続される感覚が生まれ、“戦争・安保”に精神的な高揚感や正義感を感じてしまう。
日本と連合国軍の最大の違いは、『戦争に勝ったか負けたか』だけにあるのではなく『実力を伴う新たな時代の価値観外交(理想呈示)の勝ち負け』にもあった。
遅れてきた帝国主義の悲しい定めではあるが、アメリカとイギリス、ソ連を中心とした軍事の実力だけではカバーしきれない『国際秩序・価値観外交の潮目の変化』を日本は見誤って、『植民地主義・ファッショ・自由の否定(個人よりも全体)』という新たな時代のモードでは否定されつつあった、10年は昔の旧時代のモードに必死にしがみついてしまった。
ドイツやイタリアと地政学上、無意味な同盟(更に国際社会における大義名分を失わせる同盟)を結びながら、軍事・生産力の実力でも価値観外観の普遍性でも敵わない戦いを挑み、自ら『日本は国体・国柄に最高尊厳のある国で有事に国民の生命や権利を大切にしない国(同調圧力で玉砕・自決を強いる国)』であることを喧伝する形となった。
これでは当時最新の自由民主主義の理念と個人尊重のモードの下に結集していた米軍に価値・道義の上でも勝ち目が薄くなってしまう、実際、アメリカに対する敗戦を経験した日本人は『覚悟していた虐殺・虐待・屈辱』ではなく『大日本帝国が与えてくれなかった自由主義・経済繁栄・臣民身分からの解放の慈雨』に打たれてしまったのだ。
あの戦争で掲げていた大義名分とは何だったのか、どうして日本はアメリカよりも国民を大切にする政治ができなかったのかという疑問は、敗戦・戦後処理・新憲法によって拭いきれないものとなり、『米軍GHQによる自由化・民主化・農地解放』などがなければ、本当に日本の中流以下の国民が『臣民としての自己犠牲(国・天皇・軍への命をも捨てる絶対忠誠のコスト)』を払わずして人間扱いされるような時代が短期で訪れていたのかも定かではない。
まぁ、現代の先端でも『公権力・天皇制ではない経済原理(資本の論理)』によって、中流階層以下の人たちの生活水準が低下して行動様式が企業に従属・最適化させられているという『現代における新たな苦難』もあることはあるのだが、それは新自由主義だとか格差社会だとかの戦争とはアスペクトの異なる社会問題である。
日本が民主主義も自由主義もかなぐり捨てて前近代的な『君主に対する忠誠心・帝国建設の青写真の興奮』に退行しながら、国民全員の生命を盾にしてでも国体(天皇制)を護持するという神話的物語に拘泥している時、アメリカは日本とはレベルが異なる消費文明が華やかに花開き、圧倒的な生産力と体制的な先進性、真珠湾攻撃演出による国民の戦意高揚に湧いていた。
更にユダヤ人のホロコースト(エスニック・クレンジング)で人類の敵と定義されたナチスドイツと手を結んだ時、日本は軍事力の上でも道義の上でも『米英ソに対抗可能な正当性(ソ連・スターリン体制の共産主義の道義はその後にハリボテの刑務所列島や虐殺の横行であったことが露見したが当時は人間解放の理想主義であった)』をも失ってしまった。
パリ不戦条約など『国際社会のメインパワーによるルール変更』に、旧時代の論理と価値(国民よりも天皇こそが日本の国体の守るべき礎石である)によって必死に抵抗する体制の方針と満州事変以後の対中政策が、『侵略戦争を是とする植民地主義・個人を使い捨てにするファッショ』として分類されてしまい、『蒋介石政権と結んで、日本に中国の領土を即時に返還せよ』と迫るアメリカから主権侵害を責めるという道義的優位をグリップされてしまったのだった。