国立大学における『人文系学部の改廃』と学問の目的としての『人間性(ヒューマニティー)』

人文学は科学・実学ではなく経済活動・職業能力に直接に役立つものではない。「人類の諸活動の履歴と社会調査を踏まえた基礎教養かつ批判精神」で、システムへの適応ではなく、『システム変更(ヒューマニティ)の土台』となる知性・感性・表現を担い守る学問である。

文系学部の改廃に、怒りの声多数

人文学は英語で“humanities”と表記される。知的に優れた人間が心(総合的な感受性)を失わない為の知の系譜、人間的・倫理的であるための学問といっても良い。本来は理系・文系の二分法や実利主義・就職の損得勘定で切り捨てて良い学問体系ではない。人間性を志向する人類の経験的・言語的な共有知である。

文系学部廃止が政権トップの意向を受けているのかどうか定かではないが、『トップダウンの指示命令系統』にただ従うだけの労働者・技術者のコマを大学教育で量産しようとしているのであれば、人類の近代文明や人間性の衰退に陥るリスクは高いように思う。

自分の頭で既存システムの意味・価値・構造を吟味する学問も必要であり、ただ決められたフレームワークの中で画一的な役割行動だけを行うという社会には、ヒューマニティーの充実・発展も有り得ないだろう。

元々、大学という教育機関は『大衆』のものではなく『選良(エリート)』のものだったが、人文学には確かに『知的娯楽・好奇心充足の高等遊民性(それそのものは生産性・実利性に乏しい欠点)』もある。古代ギリシアの学問は余暇(スコラ)より生まれたが、人間性と社会を豊かにする使命を忘れたテクニカルあるいはエコノミックなだけの学問に、いったい何の意味があるのだろうかという疑問もある。

『大学の自治・学問の自由・政治参加の知的手段』が間接的に剥奪されていくような大学教育改革(文系学部廃止)には、将来における国民の知的体力・批判精神の低下(抵抗の知的手段を失った従順な国民の労働力化・兵員化)が織り込まれているようで恐ろしい。

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