バブル崩壊以後の日本は“失われた25年+変化した企業観・労働意識”の歴史でもある:『日経ビジネス』のシャープのリストラ記事から思うこと

日本経済・日本人の労働の歴史を振り返れば、1980年代末のバブル絶頂期に『エコノミック・アニマル』としての日本人の企業・労働への適応力は最高度に高まった。都心の上場企業のサラリーマンは、夜遅くまで働いて夜の街に接待に繰り出し、札束をばらまくような飲み方をして、一日の疲労・ストレスを紛らした。給料は儲かっている会社で勤続年数を積み上げている限りはずっと上がる前提だから、分不相応な金額の車・住宅のローンを組むことの不安も少なかった。

就活と大学教育・価値観の多様化と経済格差の広まり:これからの時代を生き抜く働き方

『右肩上がりの給料と明るい未来・3回以上の大型給与・海外旅行やリゾートの福利厚生・手厚い企業年金の老後保障』などで、毎日ハードワークで人生全体を捧げる絶対の忠誠心を持つ社畜になることに何の疑いも持たずにいられた時代である。

またインターネットも携帯電話もない時代で、みんな30歳くらいまでには結婚してしまう皆婚の風潮も残っていたから、会社の労働・家庭・子供にリソースを投入しなければそれ以外にやることも殆ど無く(現実問題として実際に顔を知っている人の範囲でしか人間関係やコミュニケーションができない)世間体も今より格段に厳しかった。

バブル経済末期は調子に乗った大企業が、学生の質を精査しない青田刈りで、極端な大量採用をした時代でもあり、現在では簡単には社員をクビにできない大企業の『人件費コスト問題』となっている。

一部上場企業でも、ヒラで部下のいない特別な技能・知識・実績もないバブル期採用のサラリーマン(40代半ば)を大量に雇用し続けているが、日本の解雇規制に守られた『バブル期大量採用世代』は企業の構造改革を停滞させる要因にもなっている。

少し前の団塊世代の『ノンワーキングリッチ問題』と並んで容易に解消できない問題であるが、実際は日本の1980年代までの中流階層の豊かさの大部分も、こういった特別な才覚・能力・実績がなくてもいったん組織に入った人を冷遇しない(退職金まで出して長く在籍させる)という企業の家族主義経営に支えられていた背景が大きいといえば大きい。

大きな船は沈まない、老後まで守ってくれるのだから24時間働く覚悟で望んでも割に合う、それが日本経済と長期雇用の不変の前提だったが、不良債権隠しが限界に達して日本長期信用銀行・北海道拓殖銀行・山一證券などの大手金融が倒れた1998年には、日本経済の雲行きはかなり怪しくなっていた。

終身雇用の前提が『倒産・リストラ・僻地出向や窓際追いやり(自主退職勧奨)』などで崩れ、年功賃金の前提が『能力給・成果給・360度評価・実力主義』などで崩れたが、それと歩調を合わせるようにゆとり教育の導入やインターネットやケータイ(スマホ)の普及、ワークライフ・バランス、コンテンツ業界の活況やシェア文化など、企業労働以外の分野の娯楽性・コミュニケーション性・遊び性が急速に拡大してきた。

IT・ウェブの分野の一部では、小規模メディアやウェブサービスの運営などにおいて趣味性と事業性が融合したような分野も増えていて、『好きなことを仕事にしたい』という少し前の日本では、大多数の大人が眉を顰めたような価値観(仕事は嫌な事を我慢して報酬を貰うのが普通という考え方に反する価値観)も声を大きくしてきている。

『企業への絶対的な忠誠・石にかじりついても辞めない長期所属・プライベートそっちのけで働く滅私奉公』という、かつての日本企業の中心的価値観・全的コミットの規範が、一枚岩で若者に共有されることがなくなってきた。企業が先に社員の期待を裏切ったのか、社員が先に企業の求める働き方に応じにくくなったのかは、鶏と卵だが近年は新入社員の社内教育一つとっても、かつての常識や慣習を当たり前の前提として進めることが難しい場面が少なからずある。

どのくらいまでを労働・職業に費やし、どのくらいまでを私生活・家庭・趣味に費やすかのバランス感覚を持つという考え方は、バブル期以前の日本人にもあったとは思うが(本音ではもっと会社以外での自由時間が欲しいというサラリーマンも大勢いただろうが)、そういった考え方を持つ若年層の数が無視できないほどに多くなってきたのは恐らくゼロ年代以降の話だろう(その影響で会社の側も男性の育休や長時間労働緩和などさまざまな制度改革に着手してはいる)。

『仕事に全人格的・全時間的に数十年にわたってコミットできる人材』の絶対数が減少傾向にあるだけではなく、企業の側も『数十年以上にわたる雇用と家族の生活の保障』を掲げることが難しい経営状況の会社が増えており、かつては日本経済をひっぱる電機業界(半導体)のフラッグシップだったパナソニック、ソニー、シャープ、エルピーダメモリはいずれも1000人以上の規模の大きなリストラを余儀なくされ、グローバル競争においては劣勢を挽回する目処(1990年以前の世界経済におけるポジションを回復する目処)が殆ど立っていない。

選択と集中を進めた液晶事業の失敗で経営危機に陥ったシャープは、全従業員5万人のうち45歳以上の人件費の高いバブル採用組をターゲットとして3500人規模のリストラ(希望退職募集)を強力に推し進めた。

そこで希望退職を決定的にする言葉は『(給料の減額・未経験の職種への配置替え云々よりも)申し訳ありませんが、あなたにこの先いてもらっても我が社であなたにふさわしい仕事をしてもらえる場がもうありませんから』という自らの役割・貢献の余地・働く場がないことの機械的な宣告であり、勤続20年以上で会社のために連日の徹夜勤務も厭わなかった営業の精鋭部隊の多くも、意気消沈して希望退職に応じていったという。

『日経ビジネス』の特集で、家電業界のリストラが取り上げられていたが、就活で苦労なく大量採用された世代とはいえ、40~50代のシャープ社員・営業職の多くは本当にシャープという企業やその製品・ブランドを好きでたまらない人たちであり、主力製品であったアクオスの液晶テレビのシェアが落ち始めた時には、管理職でも現場の前線に出て営業を仕掛ける役を買ってでて、量販店にも消費者に見えやすい良い棚に置かせて欲しいと頼み込んでいたという。

それらの多くが希望退職に応じたが、特別な専門技能やノウハウがあるわけではないので、退職後の再就職でシャープ在籍時以上の収入を得ることは相当に困難だろう。シャープへの愛社精神と滅私奉公で20年以上の人生を生きてきた社員には、やはり会社が自分たちを守ってくれなかった裏切られたという気持ちは残ったが、『終身雇用・愛社精神(滅私奉公すれば会社が必ず報いてくれる)という日本の雇用慣行』がグローバリゼーションの競争激化と実力主義の中で崩され続けている

パナソニックのノキアと合同でやっていた携帯事業売却と社員の分散的な外資企業への転職の話なども出てくるが、ここで象徴的なのは購買部の人が外資行きを不安に思って上手く働けるか分からないと萎縮しているのに対して、技術職の人が逆にノキアに転職してグローバル市場のノウハウや技術を学べるのはありがたい機会だ(できればもっと色々な会社や市場を見てどこででも働けるように、パナソニック所属だけをアイデンティティにしていた自分を変えていきたい)と発想を転換していることだった。

かろうじてレガシーな大企業の在籍者に残っていた一社のみへの愛社精神・長期雇用の前提が崩れた時、日本の新卒者・中途採用者(転職者)はどこに就職すれば安心かという考えを捨てて、『業界全体にわたって通用する持ち運び可能な技術・知識・ノウハウ・実績』などの重要性に意識を向け変えた働き方が求められることになるのだろう。

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