『ご苦労さん』の言葉遣いでキレた事件から考える中高年期の精神的危機(アイデンティティ・クライシス)

自分の精神状態が安定し他者との敵対的なフレーム(優劣の構え)がなければ、言葉遣い云々で激怒する人は殆どいないが、40代中年期は境遇によって自己定義が揺らぐ世代でもある。

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40代は順境にあれば人生の収穫期になることも多いが、仕事・経済でも家族面でも異性面でも、ゼロからの立て直しができないと自覚せざるを得ない斜陽感の生じる年代で、なまじ自意識の強い人が挫折感・不遇感を感じている場合には孔子の説いた『人知らずして慍みず、また君子ならずや』の道から遠ざかって殺伐としやすい。

『論語 学而篇』で最も知られるこの言葉は、中学の国語で習う定型句だが『学びて時に之を習う、また説ばしからずや…人知らずして慍みず、また君子ならずや』が実感として滲みやすいのが中年後期だろう。我こそはの自負心の強かった孔子が人に知られない挫折を悟った時、人を恨まずに天命に生きる為の自戒でもあった。

他人から“ご苦労さん”と言われ激怒するのは『目上の自分を敬え・お前ごときが知った口を聞くな・誰に向かって物を言っているのか』等に投影される『失われた自尊心・自負心の上下関係強調による補償』である。『バカにされる前に威嚇する』の自己防衛の背景に不遇感・他者不信・被害妄想があり、感情も不安定化しやすい。

言葉遣いや態度・表情への不満で激怒して暴力を振るうような事件では、『言葉遣い・態度・表情自体』が問題ではないので、歴史的に『ご苦労さんが相手を見下した表現とまでは断定できない説明』をしても納得しない。自分をもっと大切に扱って認めてほしいの『承認・愛情の飢餓感』が抑圧され自己防衛+怒りに置換される。

30代後半?50代くらいの世代は、昭和期なら大半の人が就職・結婚し家庭を作り、『組織人・夫・父親などの安定的アイデンティティー』と所与の承認・愛情をある程度得やすかったが、現代では仕事・家庭・経済で不遇感を抱えた中年者が『むきだしの個人』として他者と向き合うことで不機嫌になりやすい時代背景もある。

中高年期は、外見・雰囲気・会話だけで他者や異性を魅了することもできる若者とは前提条件が異なってくるから、『社会的に積み重ねてきたもの・所与の関係や地位の中での居場所』がないと、『むきだしの個人』として自分を認めて愛してくれといっても相手にされにくい。色々な意味で他者依存の甘えや振舞いが無効化する。

その意味で、中高年期以降の人生では、『自己確立型(一人でも迷いなく立って進める領域)+社会帰属型(組織・地位・名誉・経済力等に守られる領域)+家族的・親和的な関係依存型(家族・子供・恋人などとの歴史性を背景にした承認の持続性)』の間で、各人のそれまでの生き方を反映したポートフォリオが作成されていく。

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