先進国の廃棄食品は概ね食べても健康被害はでないが、法規制と万一の食中毒のリスクがあり流通させられない。購入後の期限切れ食品は自己責任で食えるが、売り手はリスクのある食品を隠して売れない。
スーパーの消費期限切れ商品の『シール貼替え』などもあったが、確かに法的・慣習的に定められた期限は『目安』で、それを少し過ぎても多くは安全に食べられるし、途上国の食材の鮮度と比較すればマシだろう。売り手からすれば自分でも食べられるものだからという安直な考えが起きやすいが、商倫理・情報開示の問題である。
先進国の消費者が販売者に求める『商品の安全性・販売経路・売り方の誠実さ(産地・期限・材料・添加物など情報開示の透明度)』のハードルは過去にないほど高くなり、『問題なく食べられるなら良いの最低限のハードル』では食品を売れなくなった。仮に相当な割引をするなら自己責任で買うという消費者がいても売れない。
日本の廃棄食品を無駄なく活用できると仮定すれば、数百万人以上の1日の摂取カロリーを満たせるほどの量になるが、『捨てるための廃棄品は売れないし無料では上げられない』前提は強固だ。買い手だけの自己責任は法的に認められず『本人がそれで良い(当たっても納得する・貧困で欲しい)といっても売れない』のである。
かつて資本主義から社会主義へ歴史的・法則的に移行していくというマルクスの史的唯物論が影響力を持ったが、その前提として『社会全体で消費しきれないほどの生産量の拡大』が言われたが、量的な部分だけを切り取れば現代社会は食べきれない、使い切れないほどの食べ物・商品に溢れていて在庫・廃棄が膨大になってはいる。
ただ史的唯物論の欠点は、『現段階でありあまるほどの生産量』があるとしても、その生産物を生み出すために投下されている労働量と労働モチベーションを今後も永続的に維持できるかということがあり、『膨大な食品・商品があるから必要な分だけ取って良いの共産主義』だと現在の利潤・私益追求の為に頑張って生産しているモノの生産量が減る可能性が高い。