擬似恋愛を商品化する距離の近いアイドル業、あるいは偏執狂(パラノイア)を惹きつける愛想の良い美人のリスク

アイドル(idol)は理想の異性像のアニマ(女性)やアニムス(男性)として機能する『偶像』であり、アイドルの芸能稼業は『不特定多数の好意・憧れ・情欲の総体としてのサポート的な購入行動(熱狂的ファンの過剰な追っかけと購入はリターン無視の盲目的な献金・布施にも近い)』に支えられている。

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昭和期のアイドルは、遠く離れた高いステージの上にいて、『観客席との距離感・厳しい警護体制』が『非現実的な接点のない偶像性(自分とは違う世界に生きている人)』を強化した。いかに熱狂的ファンであろうとも直接的に話したり触れたりすることはできないという越えられない一線(立場の違い)を、誰もが認識できる舞台装置(アイドルを高みに置く見せ方)を用いて明確に引いていたのである。

アイドルはファンとの距離を縮めて『あなたを個人として認識していますよ』という幻想を煽るほど強いサポートを受けることができ、半ば洗脳に近い熱狂と貢献(高額の購入行動)をさせることができるのは確かだ。

だが、これは商売上のメリットだけではなく、勘違いする男性心理(女性心理)のリスクを高めてしまうやり方でもある。

アイドルの主要顧客層(特に高額購入層)は、恋愛・女性に不慣れで純粋・真面目すぎるオタク層とかなり重なると言われるが、純粋で真面目な人は熱心に一途に応援してくれる一方で、アイドルの偶像性・仮想性(キャラ性)を飛び越えて、『実際の一女性(私人の部分の人格者)としてのアイドル』まで自分に都合の良い形で理想化してしまうことがある。

例えば、人気アイドルが商売上のリップサービスやキャラクター設定として『私は今好きな人はいません。今までキスもしたことがなくて受身で奥手なタイプなんです。好きな男性のタイプは真面目で誠実な気取らない人で、格好良過ぎる人は緊張しちゃってほんとダメなので内面重視です』などと言っていて、イケメンのジャニーズや俳優との熱愛連泊旅行がスクープされたとすると、アイドルの仮想性を飛び越して、本気で激怒・号泣したり代理的な破壊行動(CDを叩き壊す・写真集を破ったり燃やしたりする・ネットで口汚く誹謗中傷する)をしたりする者もでてくる。

確かに、99%の熱狂的ファンはアイドルに恋情・憧れの思いを募らせても、アイドルから予想外の裏切りを受けて落胆したり怒ったとしても、好きなアイドルを直接的に傷つける犯罪行為にまで出ることはない。だが、内面心理にポジティブなものであれネガティブなものであれ、非常に強い特定のアイドルに対する心的エネルギー(全国各地のイベントで追っかけをする、全出演番組を見逃さずチェックするなどはポジティブなものだが非常に大きな対人的エネルギーの投入である)が蓄積されているのである。

不特定多数のファンの強い感情(愛情・性欲も含む)を受けるアイドルの立場では、『確率的に発生するパラノイア(偏執狂)が一線を越えてくるリスク』を排除することはできないのも事実であり、距離感を縮めて擬似恋愛性や会える頻度を高めれば高めるほどにリスクも高まる。

AKB方式の『会えるアイドル・グループの特定メンバーを推す』はアイドルのキャバクラ化を進めたとも言われるが、今回の事件は小さな雑居ビルで起こったものであり、人気・規模・評価の上でAKBとは比較にならないほど庶民的で身近なアイドルであり、それが一層容疑者の妄想を膨らませる要因になった可能性がある。

ちょっとその気にさせられたり身近に感じられたりする感情の遊びを上手く楽しめる人なら良いのだが、中には近い距離感でファンサービスを受けて個人としても認識される中で、『パラノイア的な擬似恋愛の妄想・執着』によってセルフコントロールが効かなくなるストーカーや物理的な加害者が出てくることもある。

男性の恋愛・性欲は一般に独占欲を伴う強力なものになりやすいが、本気でアイドルを好きになって応援する行為は、『期間限定のお祭り騒ぎ・アイドルのサポーター役・好きな見た目や雰囲気の人を近くで見れるだけで満足』として割り切れない人にとっては、一定の不平不満を残しやすい部分もあるだろう。

『最後はやめるか結婚するかで、絶対に実らない擬似恋愛(アイドルの仕事を離れた私人のアイドルとの男女関係の接点は生まれようがない)』であることは事前に決定されている。芸能業界にコネのある容姿の良い富裕層や勢いに乗った成功者であれば話は別かもしれないが、そういった人は一般ファンに紛れていない。

AKB48の『会えるアイドルのコンセプト・握手会のイベント・露出の多い衣装を着たプライベート風なPV』などは、ファンとの心理的な距離感を縮めることによって、強い支持・熱狂・購買意欲を牽引してきたが、こういったアイドル業界の変化は『アイドルのアマチュア化・アイドルとファンの敷居の低さ・アイドルの性生活の妄想』をもたらした。

その結果、アイドルに対してもっとスキンシップや会話のサービスをしてくれても良いのにといった要求水準の上昇が起こったり、虚像(お仕事)と実像(プライベート)の区別がつかなくなってきたパラノイアな人のストーカー化のリスクを高めたりもした。

かつては、コンサート中のアイドルとちょっと目線があったと勘違いしたくらいで喜んでいたファンたちが、実際に握手できたりちょっとしたコミュニケーションができたりしはじめると、興奮の耐性ができて、笑顔・目線くらいの小さなサービスでは満足が得づらくなるのである。

アイドルに限らず、自分の手が届かない高嶺の花の美しい女性や自分を受け容れなかったり拒絶(離別)した女性を物理的に傷つけようとする型の犯罪は、世界各地で起こってはいる。

普通に生活していれば平均的な男にとって手の届かない女性、接点のないタイプの女性が、商売として愛想よく接してくれたり握手・ハグのレベルでも性的魅力を生かしたサービスをしてくれると、一部の男性は擬似恋愛のルールを外れて本気でプライベートでも接点・関係を持ちたいという妄想を募らせ、アプローチしてきたりもする。

仕事上の必要や報酬が目当てであっても、『愛想の良い美人・好みの女性(自分を個人として認識して優しく接してくれる好みの女性)』というのは、一般に男を身勝手な妄想・期待に酔わせて現実認識能力を低下させやすい。

美人がある一線を越えて距離を詰めて愛想良く振る舞う場合(知らない男性との関係を築こうとする場合)には、『遺恨を残さず笑顔で離れられる男のあしらい方』を心得ていなければリスクが高くなる。

アイドルの場合にはホステスや店員などよりも逃げ場がない(決められた日時にステージやイベントに登場する・相手と話し合って納得させて離れるような機会そのものがない)ので、勝手に思いつめる危険な相手に目をつけられたら終わりというケースもあるだろう。

自分と釣り合わないので無理だと感じるアイドルや理想の異性に対する犯罪の多くは、『妄想的な独占欲・理想化に基づく破滅型(どうせ手に入らないなら殺して全てを終わらせる・自分のいない世界で他の男と楽しく生きる理想の人が許せない等)』として解釈できる。

インドやパキスタンなどの途上国に多いプロポーズして断られたら殺したり硫酸をかけたりするなどの犯罪は、『自尊心の傷つき・男尊女卑の支配欲に基づく報復型(自分を拒絶して恥をかかせて苦しめた相手に復讐したい・男性と女性は対等な立場ではないから拒絶するのは無礼であるという伝統的な男女差別の観念等)』という違いはある。

異性としてのアイドルに過剰に耽溺してのめり込むような人でも、現実の男女関係は分相応な相手で上手く折り合いをつけて恋愛は恋愛、結婚は結婚として楽しんでいるバランス感覚のある人(恋愛・主婦をしながら追っかけ等)なら精神的な悪影響はあまりないと思うが、自分の恋愛・性・結婚などはそっちのけで純粋無垢な気持ちで一直線になって『理想の異性の偶像としてのアイドル』にもっと近づこう(もしかしたら親密な関係になれるかも)という動機づけでのめり込んでいくのは長期的にはメンタルヘルスを崩したり、こんなにお金を使って応援したのに報われないという不平不満になることもあるかもしれない。

擬似恋愛を商品化してお金を稼ぐ商売として、アイドルは常識的にはローリスクなはずだが、『会えるアイドル・間近で見れる小さな会場(インディーズの雰囲気)・愛想の良すぎるサービス(過度のスキンシップ)・繰り返し会って個人認識される』などの要素が重なると、ファンとしての節度・線引きを守ってくれる従来のアイドルのカテゴリーとリスク評価では語れないものに変質してくる恐れがある。

現実を別枠とせずに、アイドル(芸能人)に過剰にのぼせて入れ込む人の多くは、女(男)が相当に好きにも関わらず、『現実の異性』はほとんど切り捨てていることも多いが、基本的には『理想主義的な高望み・最終的には実らない擬似恋愛(一方的な妄想の展開)』をどこまで屈折せずに楽しめるのか(現実の異性なしでもOKの心理でいられるか・いずれはやめて自分の人生を他の人と歩んでいくアイドルを笑顔で送り続けられるか)というメンタル勝負のアイデンティティになってくるように思われる。

恋愛・性の領域においては、ただ真面目で純粋・一途であれば妥協をしなくても良いという話ではなく、自分の持っている容姿・経済力・コミュニケーション力・人格性格・経験・キャリアなどの総合的魅力を背景にした熱意・誘いかけで、相手が自分を受け容れてくれそうかどうかのある程度客観的な判断軸も求められるものである。

理想主義的な高望みをするにしても、人生の長いプロセスでは色々な場面やお店で、今までとはタイプの違った好きなタイプの異性(男でも女でも)と出会ったりちょっと話したりする程度の機会はあるものだから、現実は現実、理想は理想で切り分けるバランス感覚もどこかで必要である。また、概ねあの時に妥協していなければ芸能人のような特別な美人・美男子を選べていたはずなのになどと後悔した人はまず現実にはいないから、捕らぬ狸の皮算用も必要ない。

そんなにがっちりと一人の特別な美人・イケメンを独占して捕まえておかなければならないという考え方そのものが、外見(ビジュアル)の価値だけしか見れない病的な強迫観念であり、結局のところ、どんなに容姿端麗だったりセクシーだったりする人も『生身の人間』であることには変わりがないから、観賞的・性愛的な快楽というものは経時的に耐性がついて鈍麻していく定めにある。

『視覚的な美・性的な快の追求』というのは、倫理や節度を失えば底なし沼の蟻地獄であり、この人さえ手に入れたらとかここまでやったらもう満足というような基準がないのが特徴である。次々にアイドル的な好みの異性を手に入れ続けられたとしても、精神的に満たされる幸福な結末に辿り着けるようなものではないことは、過去に夜の世界で大金を捨てて恋愛・セックス・薬物の依存症で自滅していった著名人の履歴などからも明らかである。

人間ではなく絵画や美術品であってさえも、一つの名画・名品をやっとの思いで手に入れても、またすぐに次の美の表象としての作品が欲しくなり、金持ちは次から次に美術品を買いあさっていずれ膨大なコレクションになるが、自分自身は飽きてあまり鑑賞しなくなってしまう(だからしまいこまずに公共の美術館などを建設してみんなに公開したくなる)のである。

財力か権力、特別な遺伝形質(抜きん出た性的魅力)がなければ、そういった表層的な美・快楽・ロマンスばかりを重視して耽溺する依存症患者のような人生は現実的に送れない、誰もが美・快楽・ロマンスを楽しむ領域や方法を何かしら持っているとしても、それを『自分の持っているもの』を無視して妥協せずに追求し重視していくことは大半の人がどこかで断念する。究極的には、人間は現実と調和して可能な範囲で決めていかないと生きていけないからであり、『思考は現実化する』などとナポレオン・ヒルみたいなことを唱えていても何から何まで現実化するわけがないからである。

ニュース記事にあるようなアイドルの殺人も、『自分は純粋・誠実・真面目な人間なのにそれを認めない相手が悪い』などと身勝手に思い込みながら病的な妄想体系や対人的な依存症を悪化させた果ての犯行の可能性が高いが、自分と相手の現実を客観的に把握することを放棄したところから深まっていく対人的な依存症は『相手が何もしていなくても妄想的(一方的)な悪意・憎悪』を育みやすいリスクがある。

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