子供が大怪我をしたり死んだりする時に『親のしつけ』が関与している事は多いが、『苦痛・恐怖・屈辱を与えるしつけ』はその場の条件反射的な行動修正に役立つだけで、人格形成への副作用も心配だ。
そもそも過度の暴力・恐怖や危険性を伴うようなしつけの必要を強調し実行する親に『人格的な魅力・状況判断の高さ・倫理観や善悪の峻別・知識教養の練磨』があるか疑わしいことも多く、まずは親自身が正しい行為・考え方を子供に対し率先垂範できているか(悪い見本にならず子供に注意を納得させられるか)が重要と思うが。
7歳の子供を山林に置き去りは、悪事をしたり聞き分けが悪かったりした時に『家からの締め出し』をするしつけと同種だが、山を含む自然は大人であってさえも『予期せぬリスクの多い場』で、少し適当に動けば『道迷い』をして元の地点に戻れなくなる。昔の神隠しの多くも誘拐でなければ山林部の道迷い・渓谷の滑落だった。
そもそも本当に山に男の子を置き去りにしたのかの事実関係も確実に把握されているわけではないが、親からすれば『たった5~10分の放置』だったかもしれないが、7歳の子供にとっては『自分が親から見捨てられたと思うパニックを伴う長い時間』になる。
客観的には『その場から動かないのが一番安全』だが、どうにか親を探そうと試行錯誤で動いて元の場所に戻れなくなり、更にパニックになって転落等のリスクも上がる。
山・森林での道迷いというのは、登山ではお馴染みのリスクだが、低山の森林であっても本格的に道を見失って1時間もさまよえば、大人でも不安感・焦燥感はかなりのものになってくるから、子供にとっては更に心理的ショックは大きく、疲れきるまで歩き続けるような間違った行動を取ってしまう。
しかし、山に行ったのは父親と長男だけだったという感じなのだが、その前には妻・長女を含む家族四人で公園で遊んでいたとも伝えられており、悪いことをしたからおしおきをするつもりだったというだけで、あんな山奥に二人で車で入っていったのだろうか。男の子の無事を祈るばかりであるが、今のところ、まだ真相がはっきりとはわからない事件ではある。