米国大統領の広島訪問・原爆被害者の慰霊に対する米国内の保守派の反対は強く、核廃絶・人権尊重を掲げたリベラルなオバマでなければ決断は難しかっただろう。オバマの理念と慰霊の意志を歓迎した。
オバマ氏歓迎一色に違和感 ゴジラ描いた核の恐怖どこへ (朝日新聞デジタル – 05月28日 15:57)
オバマが広島を訪問し『原爆投下の歴史的正当性・日米戦争における日本側の道義的責任』を訴えたなら、激しいバッシングが起こるだろうが、オバマは原爆投下を指示した1945年のルーズベルトやトルーマンではない。むしろ核兵器廃絶の方向性を示し、原爆被害者の慰霊、同盟国への共感を見せた。
戦後70年が経過し、先の大戦の当事者性が薄れ、何人もの政治指導者が入れ替わった現代で、過去の戦争から学ぶべき事は『お互いへの怨恨・責任追及を蒸し返す事』では断じてない。戦後の日米は、過去の戦争の遺恨・報復に拘泥せず自由民主主義・人権を共通理念として互恵的・未来志向的に発展を遂げてきた経緯を持つ。
オバマ大統領の広島訪問や原爆被害者への追悼に対し、『日本は原爆で犠牲者を出したかもしれないが、アジアに対する加害者であることを忘れてはならない』という中国の残念な発言があった。日米のやり取りは『加害者・被害者の立場を超えた人類の普遍的な人道主義』に立脚しており、核保有の中国も無関係な話ではないのだ。
広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑にある『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』の解釈についても、保守派には『日本の戦争の過ちを批判しているようで納得できない』の意見もあるが、これも米国の原爆投下や大量殺戮に至った日米総力戦を含む『普遍的な人道主義・平和主義』を謳ったと解するのが妥当だろう。
米国の『原爆投下が戦争終結を早めた・本土決戦を回避し犠牲者を減らした』という歴史解釈は広島・長崎の原爆の犠牲者や遺族にとっては到底受け容れられない。一方、当時の戦争の戦略的判断としてどの国も原爆を開発できれば原爆投下をやりかねなかった。日本でも『国体護持の一億玉砕』を本気で唱えた狂信的な指導者もいた。
国家権力が一方的に国民を紙切れで徴兵して無謀な戦死に納得させられる、軍では自己犠牲の強要や鉄拳制裁が飛び交う、人権感覚・権力の強さや人の命の価値があまりに違う時代の戦争で、現代の価値観が初めから共有されていない部分が多い。今を生きる人間が過去の犠牲や殺戮、災厄を繰り返さない為に何ができるかが問われる。