高知東生の犯した薬物犯罪と不倫の女性関係は『人生の罠のテンプレート』だが、麻薬Gメン(厚生労働省麻薬取締局)や警察は内定すると24時間行動を監視し、薬の所持が確実な状況で早朝に踏み込むという。愛人といるラブホへの不意の警察訪問は自宅より驚いたはずだが、逮捕状・捜査令状で入室拒否は一切できない。
『天網恢恢疎にして漏らさず』で悪事はできないとも言えるが、薬物疑惑の著名人はかなりの確率で警察にマークされ続け、覚醒剤売買のネットワーク解明などで泳がされている。バレてないと浮かれていても、知らぬは本人ばかりで『俎板の鯉』の事も多い。依存性と再犯性は高く、重症になれば身体依存を伴う精神病にも近くなる。
薬(化学物質)で精神状態を『高揚・麻痺・抑制』させて変容させようとする行為は、現代社会における『向精神薬の医療・必要』と『違法薬物の依存症・精神病理』の二面性を持つ。向精神作用の全部が悪・危険ではなく『病気と治療・苦痛と緩和・依存と虚無・享楽と退廃・無知と転落』などの状況で意味合いは変わるが。
アメリカでは、1970年代に『ヒッピーブーム・東洋思想(ZEN・瞑想の変性意識状態)』と連動した『ドラッグカルチャー(LSDの幻覚剤)・サイケ・フリーセックス』の退廃文化が若者に広まって社会問題化した歴史もあったが、根底に物質文明社会・既存体制のストレスへの快楽主義的カウンターの面もあった。
米国のヒッピーブームは、資本主義の企業・労働・金銭の適応や国家・戦争・競争を否定するカウンターカルチャーでもあり、『労働でモノを買わなくても(戦争して奪わなくても)、身体・意識(手段としての薬・性)だけで人はハッピーになれる』という原始回帰のユートピアニズムだが、実験的コミュニティは全て失敗した。
ヒッピー文化は、日本の全共闘運動のコミュニティや学生運動のバリケード内の男女関係にも少なからぬ影響を与えたとも言われているが、現代では『個人レベルの逃避的な薬物犯罪』はあっても『社会思想・運動としての広義の脱既存体制的なサイケデリック・ヒッピー』は完全に人々に忘れ去られた遺物ではあるだろう。