多民族国家アメリカ、1960年代の公民権運動で『黒人の人権侵害・人種差別』は法律的には解消されたが、無抵抗の黒人容疑者を白人警官が過剰に痛めつけたり殺したりする型の黒人差別・虐待は根深い。
2件続いて起こった白人警官による黒人射殺に憤慨する抗議デモには、かなり不穏な暴力的な空気もあったとされるが、発砲事件の一つは黒人青年がただ身分証明書をポケットから取り出そうとしただけで突然射撃された悪質な事件で、黒人の同胞意識や歴史的な人種差別への怒りに火をつけたのは無理もない面がある。
白人警官の黒人射殺事件の背景には『黒人の貧困率と犯罪率の高さ+白人警官の偏見と過剰警戒+黒人差別・人権の軽視』の複雑な事情があるが、やはり『銃社会における警察官の不安・警戒と先制攻撃』も無視できない。犯罪者の銃の所持率が高く黒人への偏見があると、警官は黒人の僅かな動きにセンシティブに反応しやすい。
奴隷制・人種分離・暴力闘争(マルコムX的闘争)など黒人差別の根深い歴史がアメリカにあり、『銃社会・武装権・黒人の貧困率(犯罪率)・白人の影響力低下(白人の人口減)』が絡む。黒人射殺の発砲事件は、白人の黒人に対する黒人の白人に対する複雑なコンプレックス・偏見と優劣感がぶつかる人種闘争の火種となる。
肌の色や顔立ち、生まれた国・土地、過去の身分は『今を生きる人の本質的な価値・尊厳』とは関係がないはずと、異人種の少ない日本にいて正論を抱くのは気楽だが、現実は日本でも『中国人・韓国人などに対する異質性・差別感情』は小さくはない。肌の色が違う人種が多く日本に入ってきて包摂・融和できるか自信はない。
日本は幸いにも黒人差別や奴隷貿易、人種隔離政策(公民権制限・電車やバスの別車両化)の負の歴史と関わりの薄い歴史を歩んできて、現代の日本人の多くは『人種差別=絶対悪』とする啓蒙思想の洗礼を受けてはいるが、仮に黒人が日本に数百万人単位で移民して勢力を張ればアジア系以上に異質性・抵抗を感じる人はいるだろう。
多民族国家ではそういった人種・民族・宗教の差異と対立は日常的なものだが、それでも多民族国家における完全な人種の融和・混合を実現した国は現実にはない感じがある。中国人がチャイナタウンを作り、黒人がハーレムを作りで、基本的に人種別コミュニティができ、人種ごちゃまぜのランダムな社会や関係にはなりにくい。
ムスリムにしてもやはりモスク中心のムスリム同士のコミュニティを作りやすく、キリスト教圏のEU諸国に移住してもキリスト教の宗教・文化・価値観に合わせてイスラム色を弱めて融合していくわけではないので、異質なムスリム集団の人口・勢力の拡大に対する抵抗感・不安感(祖国を奪われる感覚)が生じやすいとされる。