プラトンの『国家』はソクラテスとの対話篇の形式を取った全10巻の大著であり、近代国家の全体主義(戦争機械)や優生思想を引き寄せる危険な政治の書物でもあった。
プラトンの政治哲学は、大衆の理性を信頼せず衆愚政治をイメージするという意味で『反民主主義的(親スパルタ・反アテナイ)』であると同時に、階級・身分に応じた役割を果たす義務を持ちながらも同じ階級内(身分内)では平等を重視する意味では『階級制(身分制)+原始共産主義』の様相も持っている。
プラトンの国家論における究極の政治形態は、イデアに基づく最高の理性と判断力を持つ哲人王(絶対君主)に全権委任する『哲人政治』であり、多様性や自由・反論を許さない『絶対的な善(真理)の認識』があるという今からすれば非現実的な前提(イデア論における洞窟の比喩・洞窟の外の光という真理)を置いている。
『善のイデア』を認識できた哲学者が哲人王となれば、理想の国家(国家の徳)が実現するとプラトンは語る。だが、これは裏返せば絶対的な真理である善のイデアを認識したと称する哲人王にはいかなる者であっても反論できないし政治方針も変更させられないという『独裁政治の肯定』でもある。
共産主義における毛沢東やスターリン、ポルポトといった『我こそが正しい国(善なる経済社会)のイデアを知っている』とした共産主義の狂信的なリーダー(独裁者)とも重なる政治思想である。正義の国家を想定したプラトンが『個人の自由・権利』を顧みなかったように、近代国家の国民動員体制や共産主義というイデオロギーもまた個人を切り捨ててでも理想社会や戦争の勝利、経済的な平等を得ようとした。
プラトンの構想した『国家の徳』は『個人の自由・権利』を抑圧して全体的な正義と公正(共同体の秩序と戦争の勝利)を実現するというファシズムとの親和性を持つものでもあった。
プラトンは理想国家の構成員を『統治者・戦士(貴族)・平民』の三階級に区分したが、それぞれの階級ごとに定められた徳である『統治者の徳=智恵・戦士の徳=勇気・平民の徳=節制』の実践を義務的なものであるとし、国家全体の利益や繁栄のために個人はその自由・権利を捧げなければならないとする。
智恵を持つ者が統治者になるのか、統治者だから智恵を持たなければならないのかは『鶏と卵』であるが、プラトンは生まれながらに身分が定まっているという運命論者でもあるので、智恵を持つ者が統治者階級を構成していて、勇気を持つ者が戦士階級を構成しているのを所与の前提にしている。その前提の下で、支配する者と支配される者が、欲望を節制する徳を発揮して調和・秩序を保つことが理想国家につながると考えたわけである。
国民支配の強度を強めた近代国家の初期形態と非常に類似した政治思想が紀元前に既にあったことになる。
特定の親のいない集団保育で強力な戦士を育て上げたスパルタに憧れたプラトンは『家族制度』を否定して甘えを許さず社会全体で目的的に子供を育てるべきだとし、強くて美しい人間の子孫を優先的に残すべきとする『優生思想』にもコミットしていた。理想国家に都合の悪い物語や俗悪、価値観を流布する『出版報道・思想信条の自由』も検閲で規制すべきとしたが、この辺りも近代国家がトレースした道であり、プラトンは終始一貫して『国家の徳・善のイデアのための人間(個人)』という図式を持っている。
戦争で主人と奴隷の明暗を分けたポリスの古代ギリシア文明そのものが、筋骨隆々としたたくましい男性像、ふくよかで優美な女性像に象徴される『優生思想との親和性』を持っていた。アテナイなどのポリスで開催されたオリンピックも、『人間の身体的な強靭さ・美しさ』をスポーツ競技を通して競い合う戦争の代償的な祝祭だったが、プラトンは子供の教育において戦争・競技で強くなるため、強い子供を選り分けるための『体育・音楽(行進曲的な精神作用)』を最も重視したともいう。
プラトンは国家も個人も『哲人的な智恵』を失って『名誉・勇気』が優勢になった時に理想国家(哲人政治)の堕落が始まると考えた。
理想国家はその哲人的な智恵を弱めるにつれて『名誉制(名声を争う統治者の分裂)・戦士と金銭の支配(力と金による私欲追求)・寡頭制(国より一族の繁栄を願う貴族制)』へと堕落を深めていき、遂に支持を失った統治者・貴族が民衆に倒され、既存の支配秩序が転覆される『民主主義・衆愚政治』へ移行するという。
衆愚政治でどうにも行き詰まった民衆は、危機を煽る弁論に秀でた僭主(偽物で智恵のない強欲な王)に扇動・説得されて権力を預けてしまう。衆愚政治に取って変わった『僭主制』では、民衆は他のどの政体よりも厳しく支配・搾取されやすくなり惨めな境遇に追いやられるが、自分で自分の首を絞めるような事態に陥った後に理想国家を再建するには政体転換のための相当な時間が必要になるとする。
この政体転換論(政体循環論)には、プラトンの反民主主義的な価値観(大衆への不信感)が如実に示されているが、第二次世界大戦後の現代あるいはポストコロニアルな現代から見れば、このプラトンの反民主主義・全体主義的な国家論のほうが危険なものに見える。
だが紀元前のポリス間の激しい戦争の時代を生きた哲学者であるソクラテスやプラトンが、個人より共同体全体の徳・善・正義を優先する国家論を唱導したのは必然的なことでもあるだろう。『社会的動物である人間の集団最適化』を抽出した国家論が要請されるような『ポリス(都市国家)の衰退・腐敗の気運』が当時最盛期だったアテナイに漲り始めていたことの現れでもある。
個人個人の生命があまりにも軽く虚しかった時代において、『普遍的(イデア的)な善の研究・個人と集団の理想的調和による共同体強化(歴史的偉業となるべき戦争の勝利)』こそが数少ない個人の魂の思想的あるいは宗教的な救済の道でもあった。
これは個人の自由や人権の領域が拡大した現代人からすれば、『想起・回顧』するしかない人類の文明史・国家史の二方向からの残光(古代と近代の方向からの残光)というべきものに過ぎないかもしれない。だがプラトンの『国家』は、国家・階級を絶対視する旧時代的な内容でありながらも、普遍的な問題意識(歴史・政体が繰り返すかもしれない問題意識)に繋がる、今読んでも考えさせられる超時代的な政治・政治的人間の書物としての価値も併せ持っている。