子供全体から見れば『虐待死』は極めて少ないが、現代人の理想は高い:情状酌量が減り犯罪が厳しく叩かれる現代

今、一年間に生まれる子供数は約100万人、認知される虐待数は増加しているが、虐待死71人は比率的には少ない。0歳時の生後すぐの遺棄致死は未成年の混乱が多く、知識と判断力があれば中絶件数に入る。

虐待死の子ども、0歳児が初めて6割超える 14年度

虐待死や望まない出産がゼロに近づくことは理想だが、子供の1000万人以上の母数で71人の殺害は、比率的には『99.9%の親は子供を殺しはしない』ことの裏付けでもある。虐待死ゼロは、日本で虐待・嬰児の殺害が多かった戦後の混乱期だけでなく、諸外国を含め達成された事がないが、人の個人差・不完全さでもある。

現代で犯罪や子殺しへの世間的な非難が極めて激しくなった背景には、『絶対的貧困がほぼなくなったこと(親が生きるために子を間引きせざるを得ない事情が考えにくい)』と『妊娠・避妊・善悪・養育責任などの知識がない人がほぼいなくなったこと(知っていて責任感があれば不幸な結果を概ね避けられる)』があるだろう。

現代の先進国の人間が、過去にタイムスリップしたりアジア・アフリカの貧困・治安の悪い途上国に移住すれば、『遵法精神・人権意識・上品さや清潔さの大きな違い』にショックを受けることになる。逆に『犯罪による不幸がなくて当たり前と思える治安の良さ』の反動で、犯罪・犯罪者の異端さや異質性が際立ち厳しく排除される。

良くも悪くも、現代は『自然の摂理・絶望的水準の無知や貧困、悪環境・欠乏した人間の持つ狂気や悪意』から切り離され、大多数が『犯罪・殺人以外の合法的かつ効果的な選択肢』を持っているから、なおさら犯罪に落ちる心理や境遇への情状酌量は消え、そういった不幸・無知・狂気・悪意は社会にあってはならないものとなる。

現代人が相対的貧困・格差社会・ハラスメント(人権侵害)に打たれ弱くなった理由の一つも、便利で快適な科学技術と教育制度が進歩した現代において『本来はあってはならないもの』が『自分だけに降りかかってくる被害者意識』に陥るからだろう。実際は人類の歴史の99%以上は現代であってはならないものが溢れていたが…

人間は科学技術によって自然の猛威をかなり制御できるようになり(完璧ではなく今も災害で死者はでるが)、経済成長で過去の絶望的な貧困や飢えを撲滅してきたが、永遠に成長する経済がないという壁、人の生が平等ではないという現実に改めてぶつかり、『あってはならないものとの戦い』に息切れしながらも対峙している。

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