看護師にストーカーするようになる人の心理:孤独感・人恋しさを抱えた男は、愛想の良い職業人のサービスに勘違いしやすい

看護師・マッサージなど身体接触と一定の会話が可能な職業や接客業で、容姿と愛想の良い女性はストーカー被害に遭うリスクは高まるが、仕事中にプライベートな雑談まで深くしてくる人は誘いたい気持ちもあるだろう。

「看護師ストーカー」になってしまう患者たち

まぁ、女性看護師でも入院中の患者と親しくなって(自分から積極的に交流を図って)結婚した人もいるし、同じ職場の看護師・医師と結婚する人もいるので、『プライベートで誘う行為』自体が悪いわけでなく、結局『気に入られるか否か・年齢や魅力のバランスが取れているか』の話にはなる。踏み込んで迷惑そうなら諦めるべき。

ストーカーは昔はもっとひどかったが犯罪概念がなかった、押しに負けて付き合ったり結婚したりもあった。男性心理として『それなりの容姿・雰囲気』の女性が笑顔で愛想よく会話したりスキンシップしてくれれば、大抵『悪い気分』にはならない。仕事の必要を越え過度に愛想良く何でも答えるような人は勘違いされやすいかも。

仕事とプライベートの区別も近代的概念で、『職場以外では患者さんとの関わりを持たない』の記事にある原則も、完全に履行するのは意外に難しい。入院や通院を長くしている患者さんと親しく何度も話していて、休みの日にばったり顔を合わせ患者から笑顔で挨拶された時、『院外では一切お話しません』の対応もしづらくなる。

勘違いを完全にブロックする職業的対応は『笑顔・愛想・雑談対応なし,機械的事務的な対応』で実際にそういう人は色んな職場にいるが、ストーカー予備軍以外の患者・お客に対してもそうなので、別種の問題や職業適性の欠如、クレームも生じる。仕事中だけ役割演技してますと完全に思い込むのはどんな仕事でも結構難しい。

近代社会で『なぜ仕事や役割だけは特別なのか』の問題意識はなかなか面白い。『ナチスドイツのホロコーストを執行した官僚の心理』や『AV・性風俗に従事する女性の心理』など、本人や本心としてやりたくないことでも『仕事・役割・報酬の枠組み』にはまるとロボットのように履行するのは実は生活の必要を超えている。

看護師を相手にするストーカー問題では、『仕事・職場・役割』と『私生活・恋愛(性)・本心』を二分法で区別する近代的な自己アイデンティティーが背景にあるが、これは裏返すと『仕事の時間や役割としてであれば大抵のことは何でもやりますよ』という集団・役割に適応してしまう人間の機械性・従属性の裏返しでもある。

看護師も仕事の時間や役割としてであれば、尻に注射もすれば性器にカテーテルの抜き差しもすれば陰毛の剃毛もする、血液・内臓に触れる事もある。実際仕事上の役割でなければ、私生活で付き合いのある知人の男にもしないことをやるが、『人間の関係性の枠組み』と『仕事・役割でする事』のギャップもシニカルな構造がある。

『人間の関係性の枠組み』と『仕事・役割でしてあげる事』のギャップの面白さは例えば、サービス業や看護師の女性に惚れて上手く付き合えたとして、『職業上の役割やサービスで自分に接してくれていた時』よりもいつも笑顔でいてくれて、対応が丁寧で優しくなることは殆どない(お客様扱いが終わりきつくなる)ということ。

外面だけ良い夫・妻が不満のネタになる事は多いが、『一番親しいポジション』に自分がいるとしても、『実際の表情・言葉遣い・態度・サービス精神』において他人・仕事の相手よりも良くしてもらえるかは未知数。看護師なり店員なりに『お客様扱い』されて気分が良くなるのは勝手だが、仕事の顔の過半は素ではない。

女性は男性と比較しても一般的に『私生活(プライベート)の意思決定や個人的な付き合いは迷う』が『仕事・役割・義務の前提があれば無理を聞きやすい』所がある。『仕事・組織なら仕方ない(個人の誘いはNGだが仕事の関係なら食事くらいいく)の価値観』が男女のトラブルになる事もある。

『仕事・役割・公式・組織・義務・常識』などの観念に対し、人は一般に自分の希望や都合を抑えて無理をしたり、個人として興味ない相手でも愛想よく接する所があるが、女性の方が『仕事・役割だから』の愛想の良さは強い。『ビジネスとしての直接の利益・収入』になるという理由だけでなく、人の集団適応と関わるのだろう。

なぜ高齢者や一部の寂しい人が看護師にストーカーをしやすいかの理由は簡単で、『それなりの容姿・当たりの良さ・若さ』を持つ女性が、向こうから笑顔で愛想よく会話してくれること、定期的に顔を合わせる事が、病院外でまずないから。仕事抜きの一方的な愛想やサービスは実際の恋人・妻でもなかなかなく相互的なものだが。

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