ウェブ以前の校閲の仕事は誤字脱字のチェック以上に、事実確認を要する原稿を見る際の『高度な知識・レファレンス(参考文献の検索)』が必要だったが、ネット検索の質が向上してからはライターのセルフチェックのみの記事が増えた。
単行本になるような紙媒体の著作の校閲者は現在でもレベルが高いだろうが、校閲のニーズ低下とダブルチェックの欠如によって『著者・ライターの生の語彙力・注意力・表現力の差』が記事・文章にでやすくなった面はある。文学やエッセイの個性的な修辞(レトリック)には正解はないが、報道・論評の記事には一定の型がある。
大量の文章を正確に校閲して誤字脱字を無くし、現在よりも分かりやすく伝わりやすい表現を模索する仕事は、ある意味では『自分自身が書きたい内容を書く・与えられたテーマで自由に文章を書く』よりも精神的にきつい仕事で向き不向きがあるが、一冊の本に一文字も誤字脱字がない時には校閲者の能力・集中力に敬意を覚える。
昭和中期以前の古い本には誤字脱字も多いが、これは校閲者の能力以前に、活版印刷の技術工程の問題で『手作業の植字ミス』が大半だろう。現在のデジタル化されたライティングや印刷後のイメージが確認できる環境とはあまりに違う、印刷工程の多くに物理的な手作業を介し修正のコストが大きかった。
そもそも有名作家の手書き原稿には『殴り書き・悪筆・省略・段落の分割や入れ替え』なども多く、専任の編集者や校閲者でないとオリジナル原稿の正しい読解に非常な困難を来たしたと想定されるし、よく分からない文字の推量もあっただろう。手書き原稿がまずない現代は『判読困難な文字』が無くなった技術の恩恵も大きい。
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