“ユーザーとの関係構築が必要なロボット”は実質的に人間の役割に近づくが、人とロボットの比較で浮かぶ差異が微小になるほど、人の固有性と存在意義の輪郭線が朧になりそう。
ロボット中毒が社会問題に!? 元Pepper開発リーダーに聞く「人とロボットの未来像」
『僕らはAIと同様に脳の神経回路であるニューラルネットワークに脳内分泌物質のバイアスをかけたコンピューターであるとも言える』は、ロボット工学や人工知能、認知科学の前提だが、ロボット中毒問題の仮定は『人工物の上位にある生命・DNA・自意識(感情・労働・関係)の特権性』が変わらずに続くかの試金石かも。
AIやロボットのテクノロジーは、近代人のユートピアニズムを仮託されて過大評価・落胆が繰り返されてきたので、現実として『今生きている人』が生きている間に、SF的なヒューマノイドが開発できるとも思えないが、近現代ではテクノロジーによって人間のライフスタイルや興味関心は非自然的な変化を続けている。
人工知能が人間の知能を超え自律的に進化していくシンギュラリティー(技術的特異点)も、半分以上は空想のユートピアニズムあるいはデストピアニズムである。人間の知性や願いが『旧約聖書』の創世記を着想したように『存在・意識(認識主体)のメタな創造主』というイデアは人間の脳裏に洞窟の中の影としてあるのだろう。
かつては洞窟の中に影を作り出す太陽の光(観念性・自然性)を信仰したり崇拝したりしてきた人類が、洞窟の外に出て対象を見る科学知・技術力を得たことによって『観念の現実化・自然性への反逆』を企て始めたという歴史の歩み、その先に天国が待つか否かを見る事が多分できない(人の寿命の都合…)のは残念ではある。
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