「女性なら社会問題になる事案」 “男性保育士に女児の着替えをさせない”は差別か、千葉市長が問題提起し議論広がる
1980年代頃まで、乳幼児の保育・幼児教育(子供の世話)・看護介護・接客接遇などの『心理的・身体的なケアの仕事』は、女性がすることが望ましくて普通(それらの女性向きとされる仕事をしたいという男性は一般的な性格・価値観ではない)とされる『男目線のジェンダーバイアス(男性の大半がやわらかい感じの女に優しくケアされたいとか丁寧なケアと合わせて性的満足も感じられるとかいう潜在的願望を持つことからの投影)』のかかった仕事であった。
しかし、男女雇用機会均等法や男女平等の原則を固めるジェンダーフリー教育などによって、看護婦が看護師、スチュワーデスがキャビン・アテンダントとなったことを典型的な変化の始まりにして、『あらゆる職業の男女平等化』が進んだ。
一部の過酷な肉体労働や女性(男性)であることそのものが売りの接客業などを除いては、『男性向き・女性向きの仕事』という固定観念が覆されることになり(実際には暗黙の了解で男性が欲しいとか女性が欲しいとかが求人段階で分かることも多いが)、事業者はどちらかの性だけしか雇わないという性差別的な雇用を禁じられることになった。男性保育士という表記自体が、『保育士=女性が圧倒的に多い職業という固定観念』の現れではある。
平常業務の遂行の一環として女児・女性の身体に必要な範囲でふれたり裸体を知覚したりすることになる職業は確かに保育士だけではなく、看護師も学校の教諭も医師もそうであるが、保育士の仕事は『自意識・言語能力がかなり未熟な乳児・幼児の日常生活全般に関わる』という特殊性はあり、性被害(男性の内面)に敏感な親御さんによっては『乳幼児の段階で非常に無防備な自分の娘+もしかしたらのリスク』を結びつけやすくなる。
男性の小児科医・産科医は女性を診察・触診しても良いのに(女医が運営するレディスクリニックを好む女性はいるにせよ)、男性保育士だけ信用がなくて倫理・法律に反するのではないかと疑われるのは職業差別でおかしいというのはもっともである。ただ男性保育士に女児の着替えをさせるなと真剣にいう母親であれば、恐らく自分も男性医師による泌尿器科・産科の受診を意識的に避けていて、女医が診てくれる所を検索して探す(よほど致命的疾患で男性医師しかできない施術がない限り)のではないかと思われる。
医療系と比較した場合の保育士の『専門職としての認知(医師は典型でその人でなければ代わりの候補がそうおらず養成期間も長くかかる・大病院でさえ男性医師が嫌だからといって女性医師を簡単に増員し配置できない・医師免許保有者の絶対数がそもそも少ない)の弱さ』も影響している。また医師・看護師の世話になる状況は、『日常(休日以外は毎日いつもで時間も長い)』ではなく『緊急・病気・怪我(診療の必要性がある時だけ)』の時に限られていて、子供と接触する目的が明確であるという違いもあるだろう。
保育園も、男性保育士の女児相手の業務を大幅に減らしても大丈夫な余剰人員がいるわけではなく、法・憲法(職業選択の自由)の観点からも男性保育士だけを絶対に雇わない経営方針にもしづらい以上、原則として『職業人・プロとしての倫理観・責任感』を信じて任せるべき(問題・異常の兆候を発見すればその都度早期対応するべき)ということになる。
その保育園のマンパワーから見て可能な範囲で、女児の着替え・排泄の世話は女性保育士がするようにしますくらい(男性でも女性でも潜在的な問題発生を防ぐために二人以上の複数体制でできるだけ子供を見るようにします)の努力目標なら良いとも思うが、大多数が真面目に職務を果たしている男性保育士を『幼児性愛・性犯罪の予備軍』であるかのような猜疑心・厳重警戒の構えで見る雇用や働かせ方をするなら、初めから女性だけを雇う職場(求人段階では男女の性別を問わなくても男性を採用しない方針)にしたほうがマシだろう。
男性と女性の性欲の違い、性犯罪の加害者のほとんどが男性、公私混同や職業倫理放棄のリスク、男性保育士の女児への性犯罪発生(全体から見て僅かな発生件数でも)、保育士希望(他人の子供も好きで関わる仕事をしたい)の男性の絶対数の少なさ、保育士の給与の少なさ(今でも家計を支える役が多い男性が選択しづらい)などによって、『男性保育士に対する偏見・差別(男性保育士になりたい男が少なくて、保育業界・男性心理のマイノリティと見られることも影響する)』が生まれやすくなる。
確かに、女性・女児と接触する仕事をしている男性が、『100%性犯罪をしない保証・100%幼児性愛者ではない保証・100%仕事だけに専念して倫理を逸脱しない保証』は誰にもすることができないが、それはどの職業・人間・女性にも共通する『悪魔の証明』に近いものであり、(保育士を女性限定の仕事に逆行させることができない以上)現実的対応としては『できるだけ複数体制で着替え・排泄を担当する(女児の排泄の世話は女性保育士ができるだけ担当)』という辺りに落ち着かざるを得ない。
根本問題は、『男性と女性の一般的な性欲・体力(腕力)の違い』が『女性の男性の性欲に対する警戒感・過去のトラウマ(自分の子供時代の性犯罪のトラウマなど)』と重ね合わせられやすいことであり、『人間の内面・本心のすべて』を外形的な言動・態度・礼儀正しさ(好印象)などから知ることはできない(仕事中の性犯罪者にはまさかあの人がという人格者と見られていた聖職者・医師・教師もいる)という悪魔の証明(絶対に可能性がないことの証明)への囚われでもある。
だが徹底したゼロリスクを追求すれば、『男がいなければ性犯罪はほぼ起きない』という非現実的な極論にいくしかない。性犯罪者は男性全体ではごく一部であり(仕事中の職務役割や倫理観を放棄・逸脱して性犯罪に走る人は更に少なく大多数が公私の区別をつけて職務専念している)、その中の幼児性愛者も男性全体では更に少ない比率になるのだが、疑う人は男性で保育士になるくらい『子供がとても好き・子供と遊んであげたい』という『好きの種類』を、悪い性的関心の方向にバイアスをかけてみるので、一般よりも比率が高いように思い込んでしまうのもあるだろう。
男性が内面で性的なことを妄想している瞬間やセクハラのように受け取られかねない言動まで含めて疑えば切りがないということになるし(幼児性愛は別として、実際男性は魅力的な女性に対してまったく性的妄想をしていないといえば嘘になる+身体接触のあるケアやもてなされるサービスの仕事にしても男性は男性よりも優しい女性にされたいという本音もあるだろう)……非常に性被害・男性の性的欲望の攻撃性にセンシティブな人は『実際の行動・発言』にでていなくても『内心でいやらしい妄想・感情を抱く瞬間もあるであろう男性の生理的なあり方自体が苦痛』となるので、そこまでの感受性を標準として予防的な職業体制を敷けば『極論に極論を重ねて業務遂行が停滞する事態(女性・女児にある程度深く長く関わる内容の仕事からの男性従業員の大幅な削減)』になりかねない。