日本には『法的な身分・階層』はないが、『経済的な身分・階層+政治的・職業的な世襲』はあると言われるが、その典型的な現れの一つが大企業(上場企業)の大株主(平均して創業家は20~40%の株式を保有していて、創業者の子孫は社内の一定のポストと莫大な配当金を得ていることが多い)として陰に日向に影響力を維持している『創業家一族(労働所得に依存しないセレブの富裕層)』であり、日本の名前の知られた大企業の大半には、(株を全て売却して恩顧ある幹部社員に見限られない限りは)創業家の意向が今も働き続けている。
『日経ビジネス』で『出光興産・ベネッセコーポレーション・大戸屋ホールディングス』の創業家と現経営陣の対立や混乱が特集されていたが、『世襲の同族企業・創業家一族の隠然たる影響』というと自由民主主義・形式的な人権の平等が前提の現代ではげんなりしやすいのだが、こういった大企業の多くは株式を公開しているとはいってもいわば『社内統治における経済的・身分的な独立国家』であり、創業家一族には王朝を開いたカリスマの子孫・末裔といったドラマ的なメタファーが『飛躍』するにせよ『凋落』するにせよ効いてくる。
出光興産は激化する石油業界の競争環境に対応するため、現社長の月岡隆氏(非創業家の社内叩き上げの社長)が昭和シェル石油との合併にスケジュールまで組んで合意していたが、創業家・出光家の老総帥である出光昭介(五代目社長・89)の『外資の昭和シェルとの経営統合は創業者である父・出光佐三の精神(社員を最後まで育て面倒を見る大家族主義)に合致しない』の一声によってご破産にされた。月岡氏は一度は合意を取り付けたはずだったが、急な出光昭介氏の翻意・激高に逆らえず再度の合意取り付けを逡巡したといい、本人同士の話し合いも行われていないという記事であった。
対外的には月岡氏は一部上場企業の社長で経営の執行権を有しているはずだが、創業家社長の出光昭介氏の下で働いていた期間も長く、人格的・関係的に出光氏に強く出られないのか、あるいは高齢であることから時を待っているのか、出光氏本人に会いに来て意見を述べることはないという。
昭介氏の妻は、出光興産を今もカリスマ出光佐三の時代の個人商店の拡大版のように捉えているのか、『ウチの月岡』という呼び方で、現社長でさえも『店主(大株主)』から見た『番頭(住み込み)』のような格下の位置づけに置いていて、対等にモノを言い合ってよい相手と認識していない。
出光昭介氏には二人の息子がいるが、共に経営者としてまだ十分でないとして今までは社長候補になったことはなかったが、46歳になる次男が結婚を機会にして出光興産の経営陣に入りたい意向を示したため、昭介氏は自分の影響力が社内に通じるうちに取締役として息子を送りこんであげたい親心からか、現経営陣に対して今後は創業家からも再び取締役を派遣したい旨を伝えているという。
親父が築き上げ自分が成長させた大商店という意識も残る社内で、圧倒的な影響力を振るった創業家社長としては、自らが非常に高齢になっているということもあり、自分が存命のうちに子孫の誰かが経営陣に入って再び出光家の会社であることを示す姿を見ておきたい世襲願望めいた思いがやはりあるのだろうか。
ベネッセコーポレーションというと、ここ数年は元日本マクドナルドCEOの原田泳幸氏をはじめコンサルや投資ファンド出身のプロ経営者を外部から招聘して、『スピーディーかつラディカルな社内改革』を無理やりに断行しようとしながらも、社内からの突き上げや情報漏えいの問題が起こり挫折したという印象が強い。
ベネッセは元は『福武書店』で、福武哲彦というエネルギッシュな出版人・教育人がその熱意と才覚によって巨大化させた書店・出版社が原点であり、現在も創業家である福武家が強い影響力を保持している。福武書店の基盤と理念を築いたのが福武哲彦とすれば、その基盤を拡大して通信教育ビジネスとしてのモデルを現代に適応させたのが『ベネッセ』に名称変更もした『中興の祖』とも言える福武總一郎(70)である。
だが面白いのは福武總一郎氏は、カリスマ創業者であった父・哲彦の持っていた『出版・本・教育の事業分野における個人的な情熱』はあまりないことであり、『大企業としてのベネッセコーポレーションの経営』はむしろ、趣味人・美術愛好家としての顔を持つ總一郎氏の『本音で好きな別事業(瀬戸内海の直島の美術館経営・電気自動車のEV普及・現代アート支援・山岳ラリーレースなど)』を維持拡大するための道具(そのために途切れない一族保有株の配当金が必要なのだと本人も語る)に近いということである。
『全く興味ない。出版とか、ああいうのは嫌いでしたし』……それを元社長がインタビューで臆面もなく語って良いのかという問題はあるが、とりあえず経営者として働いている時には一定以上の実績は上げている。自然も好きな總一郎氏は今ニュージーランドで悠々自適の生活を送っているらしく(はじめはハワイに住みたかったらしいが南国の楽園はボケやすい云々)、海外生活の富裕層への相続税強化があればニュージーランド国籍を取得して帰らないつもりだからそれでも良いようだ。
何だかぶっ飛んだパトロン趣味人の好々爺という印象だが、福武總一郎氏は自分がやりたい現代アートや直島の美術館経営のために『ベネッセの持続的な配当金』が必要だから、『ベネッセの事業成長のための抜本改革を断行してくれそうなぬるま湯に使っていない社外の取締役』を積極採用していく(言い換えれば創業家一族から取締役を送り込まず、ベネッセ内部の社員からの叩き上げを役員にまで上げない)方針だという。
それはそれで自分が趣味人の極限のぬるま湯(インカムゲインの配当金)に浸かっている気がしないでもないですが、『資本と経営の分離(トップ人事を決めたらあとは全権委任)』が前提なので、経営陣からは好まれるタイプの創業家ではあるだろう。
飲食大手の大戸屋ホールディングスの創業家と経営陣の対立は、まさに経済小説の題材としてうってつけの『カリスマ経営者の死後の権力闘争』である。いきなり会社経営の決定権を握っていた創業者の三森久実氏が余命一ヶ月のがんを宣告されて社内が大混乱に陥るところから始まり、三森氏は臨終間際の豊臣秀吉よろしく『息子の智仁(26)を取締役にして支えてほしい』との意向を示す。
26歳にして異例の世襲的な抜擢人事で常務取締役に就任した智仁氏だが、世襲の地盤固めをするにはカリスマだった父親の余命一ヶ月の時間は短すぎた。
自分自身の社内での経験・人脈が浅すぎるという不安が残るが(26歳では大企業のトップに上るには年齢も若すぎて古参幹部に対抗できる術が株以外にない)、久実氏ががんで死去するとそれまで大人しく意向に従っていた経営陣が反発、智仁氏を突然本社から引き剥がして香港に赴任させようとして内部対立が表面化する。
この人事を創業者との約束に対する裏切り行為と見た三森久実の妻は怒り、妻は遺骨、息子が遺影を持って、社長室に直談判に赴き、今も主人はあなたを見ていると情義のプレッシャーをかける『お骨事件』を起こしたという……何とも凄まじい話だが、死んだカリスマ創業者の権威も、今はいない以上は効果に限界がある。
智仁氏は『今すぐか短期で社長に就任したい』との意見を述べるが、それを認めない現経営陣はひるむことなく対抗措置を講じ、すぐさま常務取締役からの降格人事を発表した。
現経営陣は創業家一族の経営への干渉を排除するため、創業家が保有している株式を全て高値で買い取る交渉を持ちかけたが、三森一族は即座にこの交渉を拒絶、智仁氏は思い通りにならない厳しい環境に耐えられなかったのか取締役を自ら辞任(後で後悔したとか)、創業家との経営権・人事を巡る対立は泥沼化しているという……一部上場企業であってもその経営の内実や人間関係は『同族企業の内紛』めいたものが常に起こり得るという一例のように感じた。