犯罪者を即死刑にせよの声も多いように、人は『大勢が悪と認知した他者』を攻撃する群衆心理の影響を受けやすくその時は罪悪感が薄い。いじめも異質な人を悪・邪魔とする『未熟な制裁』が関係しやすい。
『未熟な正義・制裁』と『幼児的な優越欲求(マウンティング)・集団統制』が絡む時にいじめの集団行動は起こる。大勢がいじめられる子の何らかの異質性(不適応性・弱み)に注目し『悪・不快・邪魔』と認識すると共感・良心のブレーキが効かなくなっていじめがエスカレートする。スケープゴートや集団暗示も影響する。
いじめは個人対個人の関係では合わないタイプの他者がいても起こりにくいが、『固定メンバーの集団・共同生活』ではメンバー構成にもよるが、一定確率で起こりやすい。大人でも警察・軍隊など共同生活・仲間意識の要素が濃い仕事ではいじめ発生率は有意に高い、パーソナルスペースで合わない人と常に接する環境要因もある。
いじめは被害者が先に手を出したり中傷や嫌がらせをしてないのであれば、『いじめる側が全面的に悪い』が、いじめの難しさは『暴力・悪口・脅迫といった直接の加害』だけでなく『気に入らない・合わないから相手にしないだけという間接の無視・冷遇』もある事だろう。大人も合わない人にそっけない態度は珍しくないが。
殴ったり蹴ったりお金を要求したり、死ね・消えろなどメッセージを送ったり、馬鹿にして笑いものにしたりする直接的な激しい加害があるいじめは、その事実確認さえできればいじめ指導方針も見えやすいが、合わない相手だから別に無理に関わらないだけの無視・冷遇で追い詰めるいじめは厄介だが、大人でも悩む人はいる。
いじめ問題は加害と被害だけで見れば『加害者が全面的に悪い』、『加害者の責任問題の明確化と親も交えた注意・指導』もしていくべきだが、『いじめは被害者も悪いという子供の意見』はいじめられた子の責任・落ち度を問うものではなく、集団適応や対人魅力の意見(他の子と上手くやれてない)に近いものだろう。
いじめをした加害者を厳しく指導・処罰して解決に結びつくいじめのタイプは、大怪我につながる激しい暴力や金を要求する恐喝など『直接の加害行為』が目立ついじめである。責任や落ち度があるわけではなくても『無視・冷遇・排除』を受ける『間接的な存在軽視』のいじめは、加害者の処罰だけでは根本が解決しない事も多い。
小学生くらいまでの子供時代のいじめなら『みんなと仲良くしなさい・仲間外れはダメという大義名分の指導』は可能であるが、思春期以降はグループ分けや人の好き嫌いが明確化しいじめも『無視・排除を前提とした陰口や嘲笑』になりやすく、ソフトであるほど加害者はあれこれ弁明できる、大人なら尚更だろう。